新たな不適応

平成22年01月19日(火)

 伊達の薄着という言葉があります。寒くても薄着をして軽々と身をこなす。それが若者のおしゃれでした。ズホン下を履くためには、若者であることを心理的に放棄する決断が必要でした。スボン下という言い方には、めしをライスと言い換えるような見栄がありますが要は股引きです。股引きには、猿股やステテコ、どてらやデンチコ、ふんどしや腹巻き同様、そのネイミングに問題がありますね。股引き、寒がり、年寄り、田舎者…という連想がたどりつく答えは、カッコ悪い…であり、恥ずかしい…でした。

「この寒いのに、そんな薄いズボン一枚で、風邪引いたらどうするんや」

 股引きを履いて行け、と言われる度に、ディスコでどじょうすくいを踊れと命じられたような腹立たしさを感じて、高校生の私は母親のお節介を憎みました。

「騙されたと思って、股引き履いてみ?ぬくといぞ」

 とズボンをまくって得意そうに肌色の股引きを見せられる度に、フランス料理のあとでたくあんを食べる姿を見たようで、母親の無神経さを憎みました。

 考えてみれば体育の授業で体操服に着替える時以外、人前でズボンを脱ぐ機会などありません。股引きを履いているかいないかなど、他人には絶対に分からないはずなのに、股引きを履いているというだけで、若者というジャンルから脱落してしまうような後ろめたさがありました。

 学生服と縁が切れて、若者とは言えない年齢になり、おじさんと呼ばれるようになっても、ズホンの下は素足でした。寒風に震えながらミニスカートで町をゆく女子高生を笑えません。

 ヒートテックという下着の評判を聞いて心が動きました。カタカナで表記された新型下着には、股引きという言葉につきまとう年寄り臭が払拭されていました。これが「発熱股引き」というネイミングであれば、おじさんの心に残る若者後遺症が抵抗して、とても着用する気にはならなかったことでしょう。ネイミングって大切ですね。たくあんはラディシュピクルス、梅干はプラムピクルスと言い換えれば、若者の消費が増えるかもしれません。腹巻だって、レッグウォーマーと同じように、ミドゥルウォーマーと呼べば、おしゃれなアイテムになるでしょう。

 汗で発熱するカラフルな化学下着は、身に着けてみると薄くて伸縮性に富み、それを履いているという事実さえ忘れてしまう快適さです。もちろん自ら発熱するのですから、外気を遮断するだけのものとは暖かさが違います。歯の根が合わないような寒気に必死に耐えていた努力は一体何だったのでしょう。今となっては遠い日の遠足のように懐かしい思い出ですが、ひょっとするとそういう無意味な行為に夢中になれるエネルギーこそが若さというものの正体なのかも知れません。新品の学生服はわざわざ汚してから身に着けました。髪を肩まで伸ばしてフォークギターを弾きました。ベルボトムのジーンズに下駄を履いてキャンパスを歩きました。資本論も満足に読まないまま学生運動に夢中になりました。過ぎ去ってみると、なぜあんなことに夢中になっていたのかと不思議に思う一方で、やみくもに夢中になるもののあった時代の方が幸せだったようにも思います。

 メタボ防止のために運動をし、食事制限をし、サプリメントを飲み、アルコールを控え、人間ドックを受診し…つまりは自分の体を労わるようになるにつれて、無理はしなくなりました。ヒートテックはその象徴でした。環境に合わせて上手に身を処すことを適応というのなら、私はこの年齢になってようやく外気に適応したのです…が、思いがけない不適応が生じました。というのも、私が教鞭を取る教室の生徒たちは、大半が未だ外気に適応を果たせない若者なのです。

「みんな、暖房暑くないか?」

 と汗をかきかき講義する私に賛同する学生はいません。その度に私は、若者という新たな環境に不適応を来たしている自分を意識して、改めて自分がおじさんであることを自覚するのです。