蓼科の別荘

平成22年10月13日(水)

 電車を乗り合わせて帰る道すがら、Hさんの別荘が蓼科にあるという話題になって、

「別荘ですか、のんびりするでしょうねえ」

「一泊で行きますか?」

「え、本当ですか!是非お願いします」

「それでは日程を決めましょう」

「ええっと…来月の…」

 てきぱきと計画が決まって行くのは気持ちのいいものですね。それじゃそのうちに、と言ってそれっきりの社交辞令をこれまでどれだけ経験したことでしょう。

 十月の連休の日曜の出発で、

「そうですね、中津川に、ええっと、九時四十八分に集合ということでどうですか?」

「中津川、九時四十八分、了解です」

 互いに手帳に書き込んで九月が終わり、いよいよ蓼科という土曜日のことです。

 明日はよろしくという連絡がないことに少し不安を覚えた私は、まてよ、招待を受ける側が電話を入れるのが礼儀ってもんだろうと思い直し、Hさんの携帯に電話をかけましたが、着信音が鳴るだけで出る気配がありません。忙しい人だから電話に出られないのだと推測して、少し時間を置いてかけなおしましたが同じことでした。

(ま、いいか、しっかり手帳に書いたことだし、今夜遅くに着信履歴を見れば、かけてくれるだろう)

 それよりも準備です。

 着替えとパジャマとシェイバーと喘息の薬。それに携帯の充電器を忘れてはいけない…と、持ち物番端整えてベッドに入りましたが、結局その晩はHさんからの連絡はありませんでした。

 翌朝は早くに目が覚めました。

 約束の時間に中津川に着く列車を調べると、ちょうどその時間に名古屋発の『特急しなの』が中津川に到着します。ということは、中津川で『しなの』に乗れということでしょうか?しかし、あの時彼は中津川で『集合』と言いました。彼が乗って来る『しなの』に私が乗るのなら『合流』であって『集合』ではないでしょう。そもそも『集合』はもっと人数が多い時に用いる表現です。二人きりなら『待ち合わせ』ではないでしょうか。ということは、他にも中津川に集まって別荘に向かう仲間がいるということなのかも知れません。いや、別の集まりで彼は既に中津川にいて、駅で集合して出かける可能性だってあるのです。

 様々に想像を巡らせながら、出掛けにもう一度携帯電話をかけても彼は出ず、さらに快速電車の中でかけても出ず、中津川に着いてからかけても出ないまま、とうとう判断に窮しました。

 一旦は改札を出そうになりましたが、待てよ、外に出て、もしも『しなの』に合流するつもりだった時には間に合わないぞ…と思い至り、跨線橋を取って返して『しなの』の着くホームに立ちました。合流するのなら、Hさんは列車のドアからチラリとでも姿を現して手を振るに違いありません。改札の外で集合するのなら、『しなの』をやり過ごしてから向かっても間に合います。

 アナウンスが列車の到着を告げました。

 はるか線路のかなたにポツンと見えた列車のライトが見る見る近づいてホームに滑り込みました。

 私は全体の見渡せる位置に立って目を凝らしましたが、Hさんの姿は発見できませんでした。一瞬、列車に乗り込もうとしましたが、もしも乗ってからHさんが車内にいない時は、私はどこで降りたらいいのでしょう。蓼科というだけで、私は別荘の詳しい場所を聞かされてはいないのです。危うく足を戻した私の目の前でドアが閉まり、列車は走り去りました。

 再び跨線橋を渡って、改札の手前でしばらく駅の外を気にしていましたが、それらしい人の集合はありません。もちろんその間に何度も携帯電話をかけたのは言うまでもありません。

 ついに諦めました。

 諦めて駅の立ち食いそばを食べて、ワンカップを飲みながら、快速電車で帰路に着きました。

 しかし、人間の想像力というのは大したものですね。『特急しなの』に合流するつもりで乗車していて、Hさんが中津川辺りで眠ってしまっていたとしたらどうでしょう。合流するはずの私が乗らなければ、彼は一人で別荘で過ごさなくてはなりません。こうなったら自宅の電話にかけてみるしかありませんが、番号案内で分かるでしょうか?三分の一ほど残っていたワンカップを一気に喉に流し込んだ時、突然、卒業生のMの顔が浮かびました。MはHさんの事務所に勤務していて、携帯番号は私の携帯に登録してありました。事情を聞いたMは、

「確か、予定表には蓼科と特急しなのの時刻が書いてありましたから、そのつもりだと思いますよ」

 よく事情が飲み込めないまま、Hさんの自宅の番号を調べて知らせてくれました。

 携帯を手に、またしても想像力が立ちはだかりました。

 自宅にかけて奥さんが出た場合、正直に事情を言っていいものでしょうか?もしも別荘に出かけるのが奥さんに秘密だったとしたら…。しかしこんな想像力に振り回されていては切りがありません。こういう時は率直に行動するのがいいのです。それで発生した不都合は、それを背負う人の運命なのです。

「はい。○○ですが」

 案の定、奥様が電話に出ました。

「もしもし…私、渡辺と申しますが、はい、そうです。お世話になります。あの、実はご主人とお約束してあったと思うのですが、今、私、中津川で…」

「ちょっと待ってくださいね、今主人と代わります」

「!」

「もしもし、あ、渡辺さん?あれ?そうか、そうでしたね、悪い悪い。蓼科とか中津川とか手帳に書いてあったけど、何だったかなあ、と思い出せませんでした。携帯?ああ、連休中は事務所に置きっ放しになっています」

「そうですか、よかった、安心しました。一人で別荘に行かれたのなら申し訳ないと思って…」

 と言いかけた時、列車はトンネルに入って、電話は切れてしまいました。私は腹が立つどころか、愉快でなりませんでした。みんな自分で書いた手帳のメモの意味が分からなくなる年齢を生きているのです。我々の年齢同士の付き合いは、これからも色々なハプニングがありそうです。カバンから着替えやパジャマを取り出しながら、ポッカリと空いた連休の二日間をどうやって過ごそうかと、胸を弾ませていたのです。