幸運と不運

平成22年10月20日(水)

 松阪市で活躍する社会福祉士たちのお招きで、十月九日の土曜日に成年後見制度に関する講演をお引き受けしました。担当者が近鉄松阪駅にお迎えに来て下さる時間があらかじめ指定されていましたが、いつもの癖で、かなりゆとりをもって近鉄名古屋駅に出かけたつもりでした。ところが複数ある切符販売窓口の前には長蛇の列ができています。自動券売機もありますが、ここにも長い行列ができていて、操作方法の分からない人がぐずぐずと手間取ったりしています。窓口の方が順番の進み具合が早いと判断して、一番短い列の最後尾に並びました。

 ゆとりを持って出かけたとは言ってもせいぜい三十分程度です。並んでいるうちに刻々と時間は過ぎて行き、窓口が近づいた時には目的の特急列車に乗れるかどうか微妙な時間になっていました。こうなるとにわかに窓口の職員の対応が気になり始めます。

(何やってるんだ、さっさとしろよ、売った切符を一々確かめるんじゃない、領収書?おい、空気読め、こんなに大勢が待ってるんだぞ)

 今さら意味のない行為だと分かっていても、時計と窓口と他の列の進み具合を見比べてイライラしていましたが、いよいよあと三人という番になって窓口の横に貼ってある小さな表示が目に入りました。

(予約専用窓口!)

 並んでいるのは当日用ではなくて予約の切符の窓口なのです。だから列が短かい割りに進む速度が遅いのです。時計を見ると目的の電車の発車まであと五分です。隣の列の最後尾に並び直せば確実に間に合いません。もちろん訳を言ったところで隣の列の前から三番目に入れてくれるとは思えません。

(もっと大きな字で表示しろよ、こんなに並んでから予約専用と言われても困るだろうが)

 すると、同じ間違いを犯していることに気付いたのでしょう。前二人が慌てて隣の列に移り、突然私の番になりました。

「あの…今日の切符でも構いませんか?」

「ええ、構いませんよ」

 あっけなく手に入れた切符を手に、改札を出たのが発車時刻の二分前。既にプラットホームで待っている電車に乗り込むとたんにドアが閉まり、私は無事名古屋駅を後にしたのでした。

 それにしてもあの思いがけない混雑は何だったのだろうという疑問はすぐに解けました。乗客の大半は白子駅で降りて、F1レースが開催される鈴鹿サーキットに向かったのです。

 講演日がレースの開催と重なっていたのが不運でした。それでも三十分早めに家を出たのが幸運でした。しかし予約の窓口に並んだのが不運でした。ところが前の二人が隣に移ったのが幸運でした。

 こうして人生には幸運と不運の糸が撚り合うようにして絡みついているのでしょう。

 私は隣の列に移った二人に、多分に後ろめたさの伴った感謝を捧げながら、ゆっくりとリクライニングを倒したのでした。