小さな教室の奇跡

平成22年03月14日(日)

 社会福祉士の養成校の夜間課程は、一月末の国家試験が終わると、まるで冬の空からいきなり夏の陽が射したように開放的になります。私が教壇に立つ相談援助演習の授業は、この開放感に乗じて自己を開示することを「隠れた目的」とする「スピーチ講座」を行っています。隠れたと言ったのには訳があります。学生たちに知らされる表向きの目的は、あくまでもスピーチ技術の習得であるからです。現場に出ると、研修会での発表や、職員向けの伝達や、住民向けの説明などなど、不特定多数に向かって話しをしなければならない場面を避けては通れません。自分の考えや思いを効果的に人に伝える技術を学生のうちに身につけましょうという授業目的を信じて参加した学生たちは、魅力的なスピーチを模索して試行錯誤するうちに、やがて人を感動させるのは技術ではなく、テーマであることに気づきます。そして自分の言葉で聴衆の心を揺さぶるように表現できるテーマを探して行くと、結局、自分の人格形成に深く関わった出来事について話さざるを得なくなり、自己開示の壁に付き当たるのです。

 今年、小さな教室に起きた奇跡は、一人の学生の勇気ある変化から始まりました。

 仮に彼の名をNとしましょう。

 Nは高校二年生になった頃から深刻ないじめの対象になりました。登校して自分の机が廊下に出されていない日はなかったという事実だけで、それがどんなに大変な事態であったかは想像がつくでしょう。いじめる相手に歯向かう攻撃性もなく、親に心配をかけてでも登校を拒否する強さもないNが身に付けた防衛手段は、人との情緒的な関わりを遮断することでした。クラスメイトも教員も単なる風景に過ぎないと認識することで、いじめられているという現実に、怒りや悲しみや悔しさといった感情をまとわりつかせないようにしたのです。登校するとまずは廊下に出されている机を淡々と教室に戻して授業を受けました。休み時間をじっと図書室で過ごして教室に戻ると、またしても机は廊下に出されていました。帰りには靴が紛失し、修学旅行もほとんど口を利かずに過ごしたと言いますから、その孤独たるや常人には耐え難いものですが、情緒を遮断することに成功したN自身は、孤独を感じることからも遠ざかっていたようです。

 大学に入学を果たして、いじめから開放されたNは、簡単に本来の自分に戻れるはずでしたが、人の心はデジタルではありませんね。そう易々と生き方を切り替えることはできません。多感な高校時代のほとんど二年間を、周囲を風景と認識して生きてしまったNの大学生活はその延長線上で始まりました。風景のように扱われる周囲がNに親近感を抱くはずもなく、結局Nは大学四年間も親しい友人一人作ることなく過ごしてしまいます。そして卒業したNは、何を思ったか、情緒を遮断していては絶対に務まるはずのない相談援助の専門家になるべく、夜間課程に入学して来たのです。

 福祉を志す学生たち特有の、過剰に友好的な雰囲気に助けられて、Nは何とか大きな不適応は来たさないで国家試験を済ませましたが、実際に他人と意図的な関わりを持たなくてはならない実習や演習の授業は惨澹たるものでした。ところがそのNが、卒業も間近になって、自分を変えてみないかという私の提案に素直にうなずいたのです。

「何を変えたいか、一緒に考えてみようよ」

 さんざん迷ってたどりついた目標は次の四つでした。

  • 人に関心を持つ
  • 人と積極的に関わる
  • 自分から人に話しかける
  • 仲間の輪に入る

 四つの目標を効率的に達成できる訓練課題を検討した結果、Nはクラスの懇親会の幹事を名乗り出ることなりました。幹事を引き受けるとなれば、嫌でも人と積極的に会話し、合意を取りつけ、店と交渉しなければなりません。

 一限目の授業が終了した辺りでNが手を挙げて、ぼそっと発言を求めました。意表を突かれたクラスメイトたちが私語をやめて静まり返りました。全員の視線を浴びながら教壇に立ったNが勇気を奮いました。

「実は、ぼくは・・・高校時代・・・いじめに会っていて・・・」

 自分を変えるために懇親会の幹事をさせて欲しいというたどたどしい告白に、

「・・・ということは、自分のために飲み会をするってわけ?」

 驚きのヤジが静寂を破ると、それを合図にしたように笑いと拍手が湧き起こりました。

 Nが自分から発言しただけでも十分に珍事であるのに、クラスを取りまとめて飲み会をしたいと言うのです。想定外の出来事に興奮したクラスメイトたちは、一人立ち、二人立ち、やがて全員が立ち上がってNの決意を拍手で歓迎しました。

 グループには個人を超えた力があります。

 それを活用してメンバー一人ひとりの成長を期待する働きかけがグループワークだとすれば、変化しようとするNの姿は、それから先のグループ展開に思いもよらないプラスの影響を持ちました。

 翌日がNの誕生日であることを知ったHが、密かにクラスメイトに呼びかけてバースデイケーキとクラッカーを用意しました。Hがイニシャティブを取るのも珍しいことでした。授業が始まってしばらくすると突然電気が消えて、真っ暗になった教室に二十三本の蝋燭の灯が揺れながら入ってきました。

「誕生日、おめでとう!」

「おめでとう!」

 戸惑うNに向けてたくさんのクラッカーが鳴り響きました。

 Nが照れながら真っ白なバースデイケーキの灯を吹き消しました。

 ひとこと発言を求められて、

「誕生日を、祝ってくださって、どうも、ありがとう、ございました」

 切れ切れにそれだけ言ったNは、

「何だか、業務連絡みたいになってしまって、申し訳ありません」

 小さな声で付け加えました。こういう臨機の発言もそれまでのNには見られないものでした。

 週が明けて、近くの居酒屋を会場に開催された懇親会ほど感動的な飲み会を私は経験したことがありません。驚いたことに、周囲を風景と認識していたという言葉どおり、ほとんど一年を共に過ごしたにもかかわらず、Nはクラスメイトの名前を覚えていませんでした。そのNが参加を募り、会場を設定し、会費を集めて実現した飲み会でした。授業の目的を意識して、ビンゴになった人に簡単なスピーチをさせるゲームも工夫されていました。ぎこちないNの進行を助けて、心優しい時間を過ごした参加者たちは、最後にNへの感謝の言葉を次々と述べて散会しました。

 それを境に学生たちが発表するスピーチの内容が変わりました。当たり障りのない話題を選んで安全な場所に身を置いていた学生たちが自分自身を語り始めたのです。

 学生時代の一人旅の思い出を語ったNのスピーチは、内容よりも、あのNが真っ先に手を挙げて人前で話しているという事実そのものに痛々しいような感動がありました。

 喪主として妻の亡骸を火葬に付すための点火の役割を与えられた四十代後半の学生は、号泣してスイッチが押せないでいる彼の指に娘が手を添えて、共に泣きながら点火する悲しみを共有することによって、確執のあった娘との関係が改善される瞬間を見事に切り取って見せました。

 早くに父親を亡くし、思春期までの多感な時代を年齢の離れた兄の庇護と支配の下で過ごしてしまったことが、臆病な自分の生き方の遠因であったことに気づいたことを吐露したのは五十代前半の男性でした。

 二十代後半の男性のスピーチは、数年に亘るひきこもり体験についてでした。大学院で理系の研究に行き詰まり、ふっとゼミを欠席してみたら、成績は優秀な方がいい、勤勉でなければならない、両親を悲しませてはいけない、人の期待には応えなくてはならない・・・といった、それまで不動のものだと思っていた価値が、魔法が解けたように色褪せて、自分がこの世に生きていることさえ価値を失ってしまったあたりの心理描写は、流暢な話しぶりではないだけに真に迫るものがありました。

「おかんは黙って一緒に徹夜してくれました。そして、こんなぼくのためにずっと国民年金を掛けてくれていました」

 ひきこもった原因も立ち直るきっかけも霧の中ですが、目を凝らすと母親という存在の光と影が見えて来るような内容でした。

 三歳の頃、母親と一緒に遭遇した交通事故で、自分だけ先に病院に運ばれた結果、恐怖のさなかの分離不安を経験して以来、中学を卒業するまで執拗な強迫観念に悩み続けた三十歳の女性の報告は、現在の彼女が燦燦と日を浴びたような性格であるだけに、人間の深層にわだかまる巨大なマグマを見たような気がしました。自分が触った物は汚くて二度と触れないと彼女が訴える度に、丹念に拭い続けたことに象徴される母親の愛で救われたのだと彼女は述懐しますが、

「いいことも忌まわしいことも、全ての過去が今の私を形成してくれているのです」

 そう結ぶ彼女の言葉は、確実に聴く者の過去にも肯定的な光を当ててくれました。

 ALSという難病に侵されて、日を追って体の自由を失ってゆく父親との約束を守って、人工呼吸器の装着を拒む娘の心情を語った二十代後半の女性は、

「呼吸器を装着したら、お母さんを長い介護生活に縛り付けることになる」

 それだけはしたくないんだと言って、喉を掻きむしりながらこの世を去った父親を慕う気持ちを、

「もう一度生まれても、今の家族に生まれたいと思います」

 と力強く締めくくって胸を張りました。

 妹の障害と叔父の自殺によって長い間取り憑かれていた出自に対する怯えを払拭して、いつか結婚して子供を持つと宣言したのは三十代の男性でした。

 脳出血で倒れた父親を助けたい一心で、懸命に背負って運ぶ母親の迫力に気おされて、安静を指示できなかった当時の心境を、父親を偲びながらしみじみと話したのは五十代後半の看護師でした。

 旅先で出会った貧しくも心優しいアジアの島民の生活を紹介してくれた学生がいました。重度の認知症の夫が、妻の葬儀で見せた夫婦の絆のエピソードを披露してくれた特別養護老人ホームの職員がいました。シンガポールのタクシーで、マイ グランドファーザー ウォズ キルド バイ ジャパニーズと言われて乗車拒否された時の衝撃と、両国の関係に対する無知への反省を語ってくれた学生がいました。

 仲良く喧嘩する心温まる姉弟愛、友人への軽い嘘が招いた思いがけない事態、女子高生と協力して車内の痴漢を撃退した勇気の顛末、今も続くバスケット部顧問への熱いあこがれ、クリスマスの日に遭遇した泥棒騒ぎ、容貌コンプレックスと容姿コンプレックスの克服劇、出産にまつわる感動ドラマ、児童自立支援施設での非行少年とのエピソード、どっちでもいい・・・から、めんどくせえ・・・へと変化した生き方が、懸命に取り組むことの素晴らしさにたどりつくまでの変遷の物語、水泳部の仲間たちとの愉快な学園生活、そして機械で切断した幼い娘の指がくっつく話し・・・。

 人間は一冊の本ですね。人生の一頁に綴られている人間ドラマが目の前で次々と展開しました。ある者は愉快な頁を読み上げて笑いを誘い、ある者は自分も目を背けていた頁を読み上げて胸を打ちました。そして一様に新しい頁を書き進めている自分を意識したはずです。それが意思であり、主体的に生きるということであるのです。一連のスピーチが、そのことを体験する好機になったとしたら、変わろうとするNの意思から始まった今回の結末は、小さな教室で起きた大きな奇跡と言わなくてはなりません。そんなクラスのダイナミズムに立ち会うことができた私は幸福であったと思います。


(プライバシーに関わると考えられる学生たちからは掲載についての了解を得ています)