プラットホームのドラマ

平成22年03月25日(木)

 新生成ったJRの多治見駅は床も壁もピカピカに光って、利用客は運動会ができるような広いコンコースを戸惑いながら歩いて行きますが、プラットホームには古い駅舎の頃から棲みついている鳩が、列車を待つ乗客の足もとを取り巻いて餌を期待しています。

 人に慣れる動物の周りには小さなドラマがつきまとうものですね。二羽の鳩にせがまれて、一人のお婆さんがお弁当のご飯粒を放りました。見ると争ってついばもうとする一羽の足に、ビニールの紐が絡まっていました。紐はちょうど手錠のように両方の足首を束ねる形で絡まっているために、餌の争奪戦には不利な形勢ですが、鳩はもう一羽の鳩をご飯粒から遠ざけようと果敢に体当たりをします。半分ずつ仲良く分けるという知恵がないのは悲しいことですね。二羽はご飯粒を前に、人間のする肩相撲のように、羽根と羽根で互いを押さえつけ、首を百八十度後ろにねじまげて、相手の喉元をくちばしで突っつきます。

 私は、今だ!と思いました。

 あんな足で木に止まり、紐が小枝にひっかかりでもしたら、おそらく鳩は宙吊りの状態で餓死するか、カラスの餌食になるでしょう。争いに夢中になっている今なら、捕まえて紐をほどいてやれるかも知れません。

 私はそっと立ち上がり、鳩の後ろに回ろうとしましたが、二羽の鳩は押しつ押されつ、回転運動をしているために、中々チャンスが訪れません。一方、お婆さんは、自分の放った餌を巡って目の前に展開するあさましい争いに腹を立てたのか、

「こら、喧嘩をするでない!」

 と手を払って、二羽を引き離してしまいました。喧嘩をやめた野生の鳩は、素手で簡単に捕まえられるものではありません。

「鳩の足にビニール紐が絡まっているでしょう。ほどいてやらないと…」

 私に言われて初めて一羽の異常に気がついたお婆さんは、

「あれ、ほんに可哀想に」

 今度は唐揚げのかけらを、なるべく可哀想な鳩の近くに放ったつもりでしたか、二羽はほとんど同時に羽音を立てて舞い降りて、またしても肩相撲を始めました。私は再び鳩の背後に忍び寄りました。ところがお婆さんには可哀想な鳩の方だけに餌をやろうという気持ちはあっても、捕まえて紐をほどいてやろうという発想はないのですね。

「お前は来んでもええて!」

 またしても手を振り上げて元気な鳩だけを追い払おうとするのです。そんなことをすれば、両方が驚いて飛び退いてしまうのは当然です。

「二羽が喧嘩している隙に鳩を捕まえますから、追い払わないで下さいね」

 ようやく私の意図を理解したお婆さんが餌を放り、捕まえようとしては失敗する私の周りには、いつの間にか列車を待つ数人の高校生が集まりました。

 たび重なるぶざまな失敗で鳩の捕獲はとても自分の手には負えないと自覚した私は、

「ねえ、誰かあの鳩を捕まえてよ。足の紐をほどいてやりたいんだ」

 高校生の正義感に訴えましたが、にきびのお年頃特有の気恥ずかしさに支配されているのか,お前がやれ、いや、お前がやれと照れるばかりです。

 早くしないと列車が来ます。

 二羽は相変わらず目の前で争っています。

 私は今度こそ絶対に捕まえてやるぞと決心しました。神経を目的の鳩に集中しました。気迫がその場の空気を支配するということがあるのですね。お婆さんも高校生たちも静まり返りました。時間が止まって、二羽の鳩の動きがスローモーションのように目に映った瞬間を捉えて、や!と勢いよく伸ばした私の両手の中で、生温かいものがブルブルッともがきました。

「誰かハサミを持ってませんか?」

 女子高生が急いでカバンから黄色いハサミを差し出しました。ビニール紐は思ったよりしっかりと紅色の足に巻きついていました。これでは自力で取ろうとすればするほど紐は足首を締め付けて、やがて血行が遮断された鳩の両足は壊死することでしょう。

 ハサミの先端で足を傷つけないように注意しながら、あっちを切り、こっちを切り、ようやく全ての紐を解き終えて鳩を頭上に放り上げると、鳩はクククと音を立てて駅舎の上空へ飛び去りました。

「ほう…」

 とお婆さんが立ち上がり、高校生たちが拍手したところへ列車が来ました。

 たくさんの人間を吐き出した列車は、代わりに小さなドラマの目撃者たちを一人残らずさらって、何事もなかったように中津川に向かって走り出しました。