失敗の連鎖

平成22年04月21日(水)

 その朝、息子からかかって来た電話は、予期せぬ出費がかさんだのでカネを送ってほしいという内容でした。良くない一日というものは、こういう形で幕を開けるものなのですね。振り込み先の息子の口座は郵貯銀行です。UFJ銀行で引き出した現金を直接郵便局の窓口で送金するよりも、一旦それを自分の郵貯口座に入れ、郵貯同士で送金をすれば手数料がかからないに違いないと、賢い消費者を気取った私は、UFJ銀行の通帳と郵貯銀行の通帳の両方をカバンに入れて、さあ靴を履こうとしたところで携帯電話が鳴りました。仕事先と用件を話しながら駐車場へ出てクルマに乗ろうとするとキーがありません。キーを持つタイミングで携帯電話に出たために、持ったつもりになってしまったのですね。

 これが失敗の始まりでした。

 苦笑いをしながら再び玄関のドアを開けてキーを取り、クルマを運転して職場から二つ目の信号が赤になったところで、

「あ!」

 今度は財布を忘れていることに気がつきました。財布にはUFJ銀行のキャッシュカードが入っています。それがなくては通帳があっても肝心の現金が引き出せません。

 失敗その二です。

 自分の迂闊さに半ば呆れながら二十分ほどかけてマンションにとって返すと、玄関の鍵が開いていました…ということは、財布を忘れなければドアは終日不用心なままだったということです。鍵をかけ忘れたのは失敗その三ですが、早いうちに発見したのは怪我の功名と言わなくてはなりません。

 おお!神は未だ我を見捨て賜わずとばかり、とんぼ返りで職場に向かい、駐車場にクルマを入れて、まずはUFJ銀行のATMで引き出した現金を手に郵便局へ行きました。窓口で自分の郵貯口座に入金して、

「郵貯同士の送金は無料ですよね?」

 と尋ねた私は、

「暗証番号はお持ちですか?」

 尋ね返されて軽いパニックに襲われました。

 最近は何でもかんでも暗唱番号です。パソコンの立ち上げ、メールのセキュリティ、マンションの郵便受け、ネット販売、さらには増える一方の各種カードの暗唱番号…と、記憶しなければならない数字の列は私のキャパシティを超えています。そこでいつだったか時間をかけて、全て同じ暗唱番号に統一したのですが、とうとうカードそのものの保管がままならなくなったため、ETCの様に、どうしても必要なカード以外は全て廃止の手続きをしたつもりでした。しかし郵貯については全く記憶がありません。はてさて私は過去に郵貯銀行の暗唱番号を作ったのでしょうか、それとも作ったカードを破棄したのでしょうか。戸惑う私を後目に局員は、いとも簡単に端末を操作して、

「ああ、お客様はまだ設定していらっしゃいませんねえ」

 暗唱番号がないとATMが使えませんから、郵貯同士であっても送金手数料がかかりますと説明をした後で、

「お作りになるのなら銀行印が必要ですが、お持ちですか?」

 どうせ持っていないだろうという目で私を見上げました。事前に送金ルールを確かめなかったことを後悔しながら、私は再び自宅に向かってクルマを走らせたのでした。

 失敗その四です。

 ようやく目的の送金を果たしたのが十一時半…。既にお昼の時間でした。二時間近くもこんなことをしていたのかと思うとやりきれなくて、目に付いた讃岐うどんのお店に入りました。カウンターでワカメうどんを食べながら、

(あれ?印鑑は返してもらったっけ?)

 急に不安に襲われた私は、カバンを取ろうと体をひねった拍子に右の袖口でコップが倒れ、膝から下が水浸しです。

 失敗その五でした。

 立ち上がって危うく難を逃れた隣の男性に謝り謝りしながら、おしぼりを三つ使ってテーブルを拭き、ズボンをぬぐい、靴を綺麗にしようとして六番目の失敗を発見しました。

 これでもそれなりにファッションには気を配り、その日の上着やズボンの色によって靴も黒と茶を使い分けているのですが、茶色を履いて出たはずの靴が黒いのです。印鑑を取りに戻ったとき、茶色の靴を脱ぎ、黒を履いて出たのでした。

 判で押したような日常の流れが一つ狂うと、ドミノ倒しのように失敗を重ねる年齢になりました。定年間近になって、部下の書類に判を押す立場になることを「出世」と言うのだと思っていましたが、それは高度な判断ができるようになった姿などではなくて、責任ある事務を任せられなくなった姿なのかも知れない…と思ったとたんに、今まで出会った何人かの上司たちの顔が、愛すべきお年寄りの表情をして浮かんで来るのでした。