空席の心理劇

平成22年04月22日(木)

 成年後見センターの事例検討会に参加するために、月に一度ずつ「特急しなの」で中津川を往復するようになって二年が経ちました。六両編成で入ってくる列車の自由席車両は後寄りの二両と分かっていますから、私はいつも少し早めに千種駅に行って、五号車の後ろ寄りか六号車の前寄りのドアの位置で列車を待つことにしています。そこがどちらの車両へも向かえる最も有利な位置だからです。

 列車は指定席車両から先に入って来ますが、さすがに平日の特急列車の指定席は空席が目立ちます。しかし座れるぞ…という期待は抱かないようになりました。指定席車両が空いているからといって、自由席車両まで空いているとは限らないのです。

 列車が入って来ました。それが停車するまでのわずかな間に、五号車と六号車のどちらに空席が多いかを見定めなくてはなりません。プラットホームには同じ考えの人たちがずらりと並んでいるのですから、穏やかな表情とは裏腹に心の中はみんな臨戦態勢です。五号車に空席がある…と判断した私は六号車のドアから乗り込み、連結を通って五号車に向かいました。ところがここからが問題なのです。外からは空席と見えた窓側の座席でしたが、近づいて見ると壁には上着が掛けてあり、座席には携帯電話が置いてあります。そして隣ではカッターシャツの中年男性がビールを飲みながら週刊誌を読んでいるのです。壁の上着と男性のズボンが同じ生地であるところを見ると、携帯電話も恐らく彼のものに違いありません。しかし、

「ここ空いてますか?」

 と尋ねるのには勇気が要りますね。なぜならそれは、

「空席を探す乗客が目の前にいるのを知りながら、隣の座席に荷物を置いて平気な顔している、あなたって人はそういう非常識な人間なのですか?」

 と聞くに等しいからです。聞かれた方からすれば、ちょうど使用中のトイレの個室をノックされた状況に似ていますね。

「中から鍵がかかってりゃ使用中だろうよ、それを知りながらノックするっつうことは、途中でやめて早く出ろという催促かい!」

 と腹立たしいのと同様に、

「誰か居るから荷物が置いてあるんだろうよ、それとも俺が二人分の座席を占有してるっつうのか?お前は俺のこと、そんな非常識な人間だと思うのか、バカ野郎!」

 というたぐいの不快感を与えるような気がするのです。

 一方でこうも思います。

「ここ空いてますか?」

 と尋ねられた男性が、しぶしぶ荷物をどけて席を空けた場合、私は短くもない時間をそんな非常識なヤツの隣りに座って過ごさなくてはなりません。それは通路に立っているよりも不愉快なような気もします。第一、荷物をどけてもらった立場の私は、

「あなたねえ、聞かれなきゃそうやってずっと荷物置きっ放しにして二つの座席を占有しているつもりだったのですか?向こうでは立っている人がいるのですよ。何とも思わないのですか?」

 と言いたいのを我慢して、どうも済みませんなり、どうも有難うなり、一言感謝の声をかけて座ることになるのでしょう。それは足を踏まれて踏まれた方が、どうも済みません、変な所に足を置いていて…と謝るようなものではありませんか。

 いっそ通路に立ったまま何も言わないで男性を睨み付けていてやろうかとも思います。そうなれば形勢は逆転し、

「あ、これはどうも気が付きませんで…」

 ここ空いてますから…と、男性の方から声をかけなくてはならなくなるでしょう。

 しかし中津川まで知らん顔をされたらどうでしょう。それこそ私はみすみす空席を目の前に、立ちっ放しの理不尽に耐えなくてはなりません。しばらくすると再び形勢は逆転し、例えば痔が悪い場合のように、私は座れない事情を抱えた人間のような立場になって、空いてますか?という声すらかけられなくなってしまうような気がします。

 実はこれだけのことを一瞬で考えたのか、その時の気分を分析すると、これだけの内容になるのかは解りませんが、現実の私は男性の顔に体を屈め、

「ここ空いてますか?」

 と小声で尋ねました。

 男性は無言で携帯電話を胸ポケットにしまい、壁の上着をまるめて頭上の棚に乗せました。同様に無言で席に座った私は、気分が色あせないうちにと、早速この文章を書き始めたのでした。