先生のスピーチ

平成23年01月23日(月)

 本来なら四年に一度、オリンピックの年に開催されるはずの中学の同窓会が、今年は還暦を記念して二年早く開催されました。

 大雪で参加者が半減した前回と違って、会場を見下ろす小さな城の背後には、新年二日の抜けるような青空が広がっていました。

 クラス別にしつらえられた所定のテーブルに懐かしい顔が揃い、まずはK先生がマイクを握りました。

「…という訳で、かつて中学生だった君たちを教えた私も、よわい八十を過ぎて、現在はわずかな畑で野菜を丹精しています」

 教え子との再会を収穫の喜びに重ねて、三分ぴったりにまとめた洒脱なスピーチは満場の拍手を浴びました。

 続いてマイクを受け取ったのは、数年前に病んだ脳の病気の後遺症で、口元に少し麻痺の残るN先生でした。

「…人生は明日のことがわかりません。このような体になってみると、それがよくわかります。大切な家族も、高邁な理想も、仲間との再会も、うまい酒も、健康あってこそなのだということがわかるのです。還暦という節目を迎えた皆さん。どうかこれからの人生を健康に留意して過ごして下さい」

 というくだりで聴衆は拍手をしようと身構えましたが、話はさらに続きす。

「病魔というものは突然襲って来るのではありません。たいていは血圧の異常や肥満といった予兆があります。還暦を迎えた皆さんにとって、不節制や無頓着は、もはや美徳ではありません」

 健康に留意しろという結論に達しては又しても振り出しに戻って終わる気配のないスピーチに、

「おい、終わらないぞ」

「幹事、止めなくていいのか?」

「あれもきっと後遺症なのよ、お気の毒だわ」

 会場のあちこちで戸惑いの囁きが漏れました。

 開会から三十分ほどが経過しました。

 市会議員を勤める同級生の発声で乾杯が済むと座は大いに乱れ、名残りの尽きない六十歳の中学生たちはスナックを流れる度に人数を減らしながら、午後十時近くに散会しました。

 布団に入った私の耳には、スナックで盛んに歌った昭和三十年代の歌謡曲がいつまでも聞こえていましたが、やがて興奮が冷めると、ふるいの網に石ころが二つ残ってしまったように、年老いた二人の恩師のスピーチが耳について離れませんでした。

 名古屋に戻った私の初仕事は、暮れに日程の取れなかった人間ドックの受診でした。

 十二月十九日生まれの私の年末は、忘年会を兼ねて卒業生たちが企画した還暦祝が続き、さらに年明けの同窓会で散々飲み食いした直後の人間ドックですから、数値が悪いのは予想していましたが、

「あなた、脂肪肝ですよ。悪玉コレステロールも多い。血圧は異常値です。結果は改めてお届けしますが、結果を待たず、今日から、食生活の改善と運動に取り組んで下さい」

 厳しい顔で医師からそう言われた時、私はいよいよ退路を絶たれたように感じました。

 還暦で迎えた新年が不健康の指摘から始まったのにはきっと重大な意味があるのでしょう。

 その晩、家中のアルコール類を流しに捨てて、私は自分自身に禁酒を誓いました。食事は野菜、海草を増やして全体のカロリーを半分以下にし、遅い時間帯は食べないようにした上に、中断していた片道一時間余りの歩行通勤を再会しましたが、今年は低温注意報が発令されるほど寒いのです。

 朝起きてカーテンを開けると、ガラス越しに刺すような外の冷気が伝わって来ます。

 車で行こうか…という弱気の周囲に、こう寒くては返って体に悪いからとか、家でステップ運動をすればいいだろうという防御壁がみるみる出来上がります。

 ところが、その度に背中をぐいっと押してくれる声があるのです。

「大切な家族も、高邁な理想も、仲間との再会も、うまい酒も、健康あってこそなのだということがわかるのです」

「病魔というものは突然襲って来るのではありません。たいていは血圧の異常や肥満といった予兆があります。還暦を迎えた皆さんにとって、不節制や無頓着は、もはや美徳ではありません」

 それは気の利いたK先生のスピーチではなく、たどたどしいN先生のメッセージでした。

 私はこれからもくじけそうになる度に先生のスピーチに背中を押されながら老いの坂道を上って行くことになるでしょう。

 そしてあの時先生のスピーチにざわめいた同級生たちも、健康不安に襲われた者から順に、くり返しくり返し訴えた先生の言葉の重さをしみじみと受け止めるに違いありません。