爪きりでハイジャック?

平成23年11月06日(日)

 高知県の山奥の講演会場から二時間近くタクシーに揺られて、松山空港に着いたのはフライトの四十分ほど前でした。手荷物検査のゲートに十五分前までに来るようにという表示から逆算して、まずは慌ただしく職場に土産物を買いました。

 ホテルでは朝食のパンの持ち出しが認められず、乗った特急列車には車内販売がなく、高知で停車中にようやく手に入れた弁当を食べたのが十時過ぎだったために、用意された昼食が食べられないまま、一時間以上ステージで懸命に話をして、二時間かけて四国山脈を越えたのですから、空港に到着した時はさすがに空腹でした。

 二十分で腹ごしらえをしようとすれば、やはり麺類です。目に付いたそば・うどんの店に入って「鴨南蛮そば」という、珍しいメニューを注文しましたが、これがなかなか出てきません。厨房がサボっている訳ではありませんから催促するのも野暮だと思い、イライラしながら待つこと七、八分。ようやく出てきた丼がひどく熱いのです。腕時計とにらめっこで、ふうふう言いながら、上顎の粘膜が焼けるのも構わずすすり終えて、手荷物ゲートに駆けつけると、数人が並んでいました。

 フライトまであと十五分です。

 ただ今、名古屋行きのお客様のご案内をしています、というアナウンスが聞こえます。

 こういう時って焦りますね。

 空港に置いて行かれたら困りますが、私一人のために出発が遅れるのも面目がありません。観光バスに時間通り戻って来た大勢の乗客を待たせておきながら、ソフトクリーム片手に平然と遅れて来る年輩の女性が必ずいますが、絶対にああいう風にはなりたくないと思いながら待っていると、案外スムーズに順番が来ました。

 しめた、間に合った!とばかり金属探知機をくぐったとたんに警報が鳴りました。

 運転中にふいに赤い旗を持ったお巡りさんが出てきた時の気分に似ていますね。

「お客様、何かポケットにお持ちじゃありませんか?」

 制服姿の女性に腕を取られて列から外れる時は、ほんのわずかですが、現行犯逮捕された犯人の気分です。

 後ろのポケットの小銭入れと家のキーを差し出して無事通過したかと思ったら、今度は手荷物の係員に呼び止められました。

「お客様、何かバッグに刃物が入っているようですが…」

 と言われても、通勤用のリュックをそのまま持って出た私には記憶がありません。しかし、記憶以上に私には時間がないのです。

「刃物?」

 慌ててリュックをまさぐって、

「これでしょうか?」

 日本刀の形をした十センチほどのペーパーナイフを取り出すと、

「あ、それはちょっとまずいですね。お時間はありますか?」

「いえ、名古屋便ですので、もう」

「ああ…それですと返しする手続きは…」

「結構です。処分して下さい」

 名古屋に越して間もなく、お城で開催されたイベントに参加した時に、記念に買った思い出のペーパーナイフでした。

 それじゃ、と搭乗口に向かおうとすると、

「あ、お客様、ちょっと」

 係員はリュックをもぎ取るようにして再度検知器を通し、

「まだ何かあるようですが…」

 今度はリュックのポケットの奥から万能ナイフが出てきました。ナイフと栓抜きとハサミとヤスリとドライバーが一緒に収納されている銀色のナイフです。

「いつ災難に遭うか分からない時代ですから、こういうの、一つは常備されておかれた方がいいですよ」

と勧められて買った結構な値段のするものでしたが、本当にいつ災難に遭うかわかりませんね。

「それも処分してください」

 そし三度目の手荷物検査で指摘されて、友人からもらったスウェーデン製の小さな爪切りを没収された時、私は胸の動悸をはっきりと自覚しました。搭乗時間に遅れるからではありませんでした。自分の不注意に対する落胆でもありませんでした。

 またしても怒れるタコに変身した私が、

「爪切りでハイジャックはできないでしょう?」

 と穏やかに墨を吐くと、

「一応刃物は持ち込みが禁止されていますので…」

 係員はホテルのフロントマンと同じ顔をしていました。自分の職責で臨機の判断を行うのではなく、規則に従って違反を取り締まるのが職務なのです。

「ね?爪切りでハイジャックはないですよね」

 戻ってから職場の仲間に同意を求めると、

「私は空港で裁縫用の糸と針のセットを没収されましたから…」

 仲間は既に極端な刀狩を経験していたのでした。