餓死と個人情報

平成23年01月24日(月)

 日本中の行政が孤立死を防止するためのネットワークの構築や見守り活動の普及に躍起になっているにもかかわらず、電気も水道も止まった部屋で高齢者が餓死して発見されたというニュースを耳にすると、やりきれない気持ちになります。

 想像してみて下さい。餓死するまでには地獄のような時間の経過があるのです。

 何らかの事情で金銭的に困窮し、通帳の残高不足が一定期間継続すると、満足に食料が買えない状態で電気が止まり水道が止まります。やがて空腹は限界を超え、痩せ細り、横たわったまま衰弱して死に至るのです。混濁する意識の底でいったい何を思うのでしょう。先に逝った親のことでしょうか。疎遠なままの子共たちのことでしょうか。幼い頃を過ごした故郷の景色でしょうか。

 そんな事態に陥る前に生活保護を受給すれば良かったではないかと、ニュースを聞いた者は思うのですが、考え違いをしてはいけません。生活保護の申請をする知識や能力のない人がニュースに登場するのです。

 近隣の住民が気にかけて、市役所に通報できなかったのかという意見もあるかも知れませんが、これも考えてみて下さい。たいていは自分を気にかけてくれる近隣のない人の身に起きる出来事なのです。それに、たとえ身近に最近顔を見ない高齢者がいたとしても、あなたは市役所に通報ができますか?少なくとも訪ねて行って言葉を交わす程度の日常の交流がなければ、しばらく顔を見ない程度のことで市役所に通報などできないものです。

 だとしたら…と思うのです。

 全世帯を対象にする訳にはもちろん行きませんが、高齢者世帯に限って、ライフライン、つまり、電気、ガス、水道の供給を止める段階で対処ができないものでしょうか。取り分け生命に直結している水道が止まるのは異常事態と言わなければなりません。それを水道課は真っ先に知る立場にあるのです。しかも幸いなことに水道課は福祉課と同じ市役所にあって、同じ市長の権限の下で仕事をしています。支払いが滞った段階でいち早く水道課から福祉課に情報が伝われば、福祉課が民生委員に訪問調査を依頼して、悲しい事態を事前に防ぐことができるではありませんか。住民課で把握した高齢者世帯の情報と、水道課で把握した滞納情報を、福祉課につないで利用するシステムさえ採用すれば、近隣のネットワークとは別に、かなり現実的な孤立死防止対策が可能になるように思うのです。

個人のレベルでは随分以前から存在するシステムです。センサーと通信技術の発達で、トイレの水が一定時間流れなかったり、冷蔵庫が長時間開閉されなければ、管理会社から職員が駆けつける有料の民間サービスは、経済的にゆとりのある人々の間では既に定着しています。郵便受けに新聞がたまっていたら、配達員が様子を見るという新聞社のサービスも実施されています。

「市民課と水道課と福祉課が連携すれば、同様の見守りサービスが、行政レベルで可能になると思うのですが…」

 という私の提案に、

「う~む、個人情報保護法との関係で難しいでしょうね」

 知り合いの弁護士からは思いがけない反応が返って来ました。

「同じ役所内で個人情報ですか?」

 個人情報保護法は、個人が特定できる情報を職務上一定規模で取得する者に対して、それを本来の目的以外に使用することを禁じた法律です。この法律に照らせば、住民が住民登録をするのは、住民としての権利を取得するのが目的であって、それ以外の目的での情報の使用を承諾してはいません。住民登録を基に市民税を徴収されるのは、情報の目的外使用ではなく、住民になったことにより、別の法律で課せられる義務なのです。同様に水道契約は水を購入するのが目的であって、それ以外の目的での情報の使用を承諾してはいません。ましてや水道料金の滞納情報を、料金徴収以外の目的で使用することなど、それが善意に基づくものであっても、できるはずがないのです。

「しかし、本人から見ればどうなんでしょう?違法でも困った事態を察して行政から手が差し伸べられる社会の方がいいのではないでしょうか?ことは生死に関わっているんですよ」

「最初に個人情報を取得する時点で、目的を特定して使用の承諾を得るか、別途、条例を定めて使用の道を開くしかありませんが、いずれにしても厄介な問題ですね」

 同じ市長が統括していながら、水道課の情報を福祉課が利用できないで、孤独死防止の努力を市民に求めている姿を一人の人間に例えれば、車庫にクルマがあるのに、会社から業務目的で貸与されているものだからという理由で、急病の子共を病院に運べないで途方に暮れている人に似ています。それはお困りでしょうと、親切に自分のクルマに乗せてくれたにもかかわらず、急いでくれと頼んでも、スピード違反はできないからと頑なに法定速度で走る隣人に似ています。

 個人情報保護法がその名の通り、個人情報を悪用から保護するために制定されたのだとしたら、法の趣旨こそ重視すべきではないでしょうか。行政という信頼すべき機関が、高齢者の生命を保護する場面に限って、個人情報の保護よりもその使用を優先させるのが許されないとは思えません。

 遵法精神も融通が利かないと教条主義になります。

 医療行為を行えない介護職員が、湿布薬をベッドに敷いて、お年寄りに寝返りを打ってもらう方法で目的を果たしたという話を聞きました。子供っぽいですが、発想の動機は、禁を破る責任を負いたくないという一事に尽きるでしょう。公園の遊具で子共が怪我をしたとたんに、公園から全ての遊具を撤去した発想も、担当者の責任回避が動機です。個人情報保護法に必要以上に拘束されるのも同様に、市民から自分の情報が漏れているではないかと抗議を受けた時に、責任を問われたくないからではないでしょうか。

 今話題にしているのは、高齢者の安否の確認です。水道料金が支払えなくて困っている時に行政から手を差し伸べられて、個人情報の漏洩を抗議する人など恐らく一万人に一人でしょう。一万人に一人のために残りの九千九百九十九人を犠牲にするのは教条的でと言わなくてはなりません。

 話が逸れました。

「水道料金の滞納者を、料金の督促という名で安否確認に行くというのはどうでしょう」

「それなら問題はありませんが、滞納者全員をその都度訪問するのは現実には困難です」

「高齢者世帯だけに限定するのですよ。単身世帯だけでも構いません」

「それを特定することが困難なのです」

「ですから住民登録情報を…」

 と、弁護士との会話の続きを想像しましたが、またしても個人情報保護法の壁が立ちはだかりました。

 結局、弁護士の言う通り、煩雑でも目的を特定して使用の承諾を得るか、別途、条例を定めるか、さもなければ湿布薬をベッドに敷いた介護職員のように、せいぜい責任をとらなくても済むような方法で情報の共有を図るしかなさそうですが、住民を守るためにこしらえたルールのために、却って住民に近づけないこんなジレンマは一日も早く解決したいものですね。