特派員報告3
JHO・DAIGIN

平成23年12月23日(金)

 日本では国技にもかかわらず上位を外国人プレイヤーに占領されている相撲というスポーツがありますが、モンゴル出身のチャンピオンが品格に欠けるという理由で相撲協会から実質的に追放されました。表向きは引退ですが、追放に等しい経緯だったと思います。相撲のチャンピオンは横綱と呼ばれて、他のスポーツとは比較にならないほど高い精神性が求められます。横綱という言葉は、土俵入りというセレモニーを行う時のチャンピオンの腰を飾るしめ縄に由来していますが、本来しめ縄は、ここからは神の領域であることを示すロープのことですから、それを腰に巻く横綱には、ある種、神のような神聖さが求められるのです。それにしても神のような神聖さを備えた品格とはいったいどのようなものなのでしょう。そもそも日本人の宗教観や美意識は、外国人力士にも短期間で理解されて、彼らの私生活まで律することが可能なのでしょうか。勝ってもガッツポーズをしてはいけないと教えれば品格が理解できるでしょうか。行司と呼ばれるレフェリーから、懸賞金を受け取るときに、チョンチョンと手刀を切れば、それで品格が表現できるのでしょうか。明けても暮れても横綱の不行跡を執拗に報道して彼を糾弾しておきながら、引退の記者会見を済ませてハワイで休養する元横綱にマイクを向けて不満の表明を期待したり、引退に反発するモンゴル国内の反応を報道して両国の緊張を煽ったり、入場券の販売窓口で客の減少を取材して引退の影響の深刻さを憂いて見せるマスコミの側には品格は求められないのでしょうか。視聴率を上げることだけを目的に、事件がなければ発掘してでも報道しようというマスコミの姿勢には、勝てば何をしてもいいではないかという外国人力士の姿勢と共通したものがあるような気がしてなりません。それが国技と位置づけられて、天皇も観戦するとなれば、いかにていたらくでも、やめてしまえとは声高に言えないメンタリティも含めて興味深い研究テーマと言えそうです。