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捨てて来た能力
平成24年01月06日(金)
正月の特別番組で大変興味深い実験を見ました。A3ほどの大きさのタッチパネルに、散乱した1から9までの数字が表示され、小さい数字から順に指で正しくタッチし終えると食べ物がもらえます。これに複数のチンパンジーと人間が取り組む実験でした。最初の数字にタッチした瞬間に残った数字は黒い四角に暗転しますから、成功するためには全ての数字の位置を正確に記憶していなければなりませんが、チンパンジーが驚くほどの速さで成功するのに対して人間たちの結果は惨憺たるものでした。
「私たち人間の祖先も、かつてはチンパンジーと同様の能力を持っていたのでしょうが、進化の過程でその種の能力を捨てる代わりに例えば言葉を操るといった別の能力を獲得したのだと考えられます」
解説者の説明は示唆に富んでいました。
実験はさらに続き、マジックインキを持たせたチンパンジーに、片方の目が空白になった仲間の顔の絵が提示されました。ちょうど我々が福ダルマに目を入れるように、彼がマジックインクで欠けた目を描くことを期待しましたが、チンパンジーは顔の空白には全く関心を示さないで、意味不明の描線を楽しむばかりでした。
「人間の場合、三歳程度の知能があれば、たいてい欠けた目を描こうとしますが、チンパンジーには無いものを想像する力はなさそうですね」
二つの実験は私に人間というものの本質につい改めて考えさせてくれました。
無いものを想像できない生き物には過去も未来もありません。同じヒト科に属していても、チンパンジーは一定の幅を持つ現在に身を置いて目の前の現実に素早く対処するだけの存在なのです。恐らくタッチパネルの実験でも、提示された複数の数字を小さい順にタッチしたのではなく、形の違う数字の配置を、森で木の枝の形を認識するように把握したのだと思います。目の前の現実を、写真に撮るように正確に脳に焼き付ける能力は、他の個体より素早く獲物を捕り、瞬く間に木の枝に飛び移るのに必要な能力だったのです。
ひるがえって私たち人間はといえば、目の前の状況に素早く対処する能力はチンパンジーに遠く及びません。露天風呂の飛び石でさえ、よく見定めて渡らないと踏み外してしまいますし、年を取れば畳のへりにだってつまずいてしまいます。一方、無いものを見る能力は恐るべき発達を遂げたようで、今夜何を食べようから始まって、せっせと結婚資金を蓄えるのも、老後の不安に怯えるのも、火星にロケットを打ち上げるのも未だ無い未来について思いを馳せる能力から発しています。昨日の失敗を悔やむのも、友人の裏切りを恨むのも、心無い一言が許せないのも、既に無い過去を思う能力から発しています。考えてみれば、良いにつけ悪いにつけ、私たちの生活を彩っているのは今ここに無い事柄ばかりではありませんか。
それが幸の種にも不幸の種になります。幸が芽を吹く分には言うことはありませんが、不幸の種は蒔きたくはありません。
鏡を睨んで目じりの小じわを発見するや、この調子でしわが増えたのではちょうちんババアになりかねないと、高価なエステのローンを組んで生活に支障を来たすのは、そこにひとかけらの楽しみがなければ、未だ無いもののために不幸せになっていることになります。子会社でぞんざいに扱われて、本社では部屋付きの部長だったのだと飲んで愚痴を言うのは、それで気が済むのでなければ、既に無いもののために不幸せになっていることになります。しかしチンパンジーならぬ人間の生活は、どうやらそんなことの連続のようです。無いものを中心に生きる選択をした人間のそれが逃れ得ぬ宿命なのでしょう。
梢の上で背を丸め、吹雪に打たれているニホン猿の険しい顔に、手の届かない崇高さを感じることがあります。雪が止むことも願わず、空腹を嘆かず、突然訪れるかも知れない死にも怯えず、じっと今を生きる姿に、私たちが進化の過程で捨ててしまった、生きもの本来のいさぎよさを思い出すのかも知れません。
終