途中下車

平成24年08月08日(水)

 静岡県の藤枝市というところから講演依頼がありました。家を出る時間を間違えて、予約した新幹線の時刻より一時間も早く名古屋駅に着いてしまった私は、途中下車をして駅ビルの書店で時間を潰そうと思い立ちました。

「あの…一旦出たいのですが…」

 大曽根から藤枝までの乗車券と、名古屋から浜松までの特急券を見せて駅員に尋ねると、

「ええっと…これですと金山、名古屋間の往復で三百二十円をお支払い頂くことになります」

「金山?」

 私は理解ができませんでした。

 名古屋駅の改札を出るのにどうして無関係な金山駅を往復する金額を請求されるのでしょうか。

「大曽根から名古屋までは百九十円ですよ。三百二十円っていうのは変じゃないですか?」

 若い駅員は少し迷惑そうに鉄道の路線地図を開いて、

「お客様の乗車券には、こことここ、つまり金山と名古屋間の料金が含まれておりません。名古屋で改札を出られると、未払いの金山から名古屋までの料金百六十円と、金山に戻られる料金百六十円の、合わせて三百二十円をお支払い頂くことになるのです」

「未払いって、私、金山を通って来ましたよ。それに新幹線に乗りますから金山に戻ったりしませんが…」

「特例市内になってますからね」

 後ろに次の乗客が並んだので改札を離れましたが、納得できないまま料金を支払う気持ちにはなれず、私は待合室のベンチに腰をおろして駅員の言葉の意味を反芻しました。

 金山…特例市内…未払い…往復料金…。

 金山…特例市内…未払い…往復料金…。

 そして、駅員がわざわざ鉄道地図を広げて見せたのはなぜだろうと考えたとたん、突然霧が晴れるように謎が解けました。

 特例市内というのは、どこから乗っても同一料金である代わり、途中下車をすると前途無効になる区域のことで、新幹線を使う場合は名古屋市内がこれに当たります。私はこの区域内での途中下車を希望したのです。駅員は、藤枝までの切符を無効にしないで私を駅から出すために、こう考えたのですね。本来、新幹線を使わないで大曽根から藤枝に行こうとすれば、中央本線で金山まで行き、金山から東海道線に乗り換えますから、金山名古屋間を未払い区間と考えて、往復料金を支払ってもらおうと。

 疑問は解けました。しかし、気分は晴れませんでした。乗った距離で考えれば、やはり大曽根から名古屋間の片道百九十円を払うのが市民感覚というものでしょう。三百二十円との差額はわずか百三十円。考えてみれば私は、ペットボトル一本分の金額で、書店に出かけるのを断念し、一時間を悶々と過ごしたあげく、こうして事の顛末を記述しています。納得できないエネルギーというものは金額では量れませんね。そう言えば同じような不愉快を感じたことがあるぞ…と思いを巡らすと、行きつけの郵便局が浮かんで来ました。

 今ではどこの郵便局も番号札を取って順番を待つのが一般的ですが、ある時、誰もいない郵便局のカウンターで用件を告げると、番号札を取るように指示されました。おそらくは出された札の枚数で窓口ごとの来客数をカウントするルールでもあるのでしょうが、客にとって番号札は、あくまでも混雑した店内の秩序維持の手段です。誰もいない場面で要求されるのは愉快なことではありません。

 私は郵便局から頻繁に振り込みをしますが、振込金額が一定額を超えたとたんに本人確認を要求されます。

「いつも有難うございます」

 と笑顔で挨拶してくれる馴染みの局員から、

「ご本人確認のため、免許証を見せて頂いてよろしかったでしょうか?」

 と言われる度に、あなたは私のこと知っているじゃないですか。それに、先週も免許証を見せましたよね?と抗議したい衝動に駆られます。免許証のコピーを断ったら振込みはできないのでしょうか?郵便局には私の顔写真のコピーが振り込みの数だけ保管されているのでしょうか?

 気分が晴れない理由が見えて来ました。要するにJRも郵便局も自分たちが勝手にこしらえた内部のルールを、大威張りで客に押し付けているように感じるから不愉快なのです。ルールが変えられないとしたら、大威張りという印象を改善するしかありません。

「お客様、名古屋で途中下車されますと、これこれこういう理屈で、金山名古屋間の往復料金が必要になります。不合理とお思いになるお気持ちは分かりますが、ご了承いただけますか?」

「お客様、私どもは番号札で窓口別のご来客数を把握して今後のサービスに活かしたいと考えております。ご面倒でも札をお取り頂くと助かります」

「お客様のことはよく存じ上げておりますが、事務処理上、ご本人であることを確認したという証拠を残させて頂いています。ばかばかしいと思われているでしょうが、いつものように免許証をコピーさせて頂きたいと思います」

 言葉を惜しまずに、ほんの少し説明を加えるだけで、苦い薬はオブラートに包まれて、抵抗なく喉を通るように思いますがいかがでしょうか。