都会のお盆

平成24年08月19日(日)

 一定の年齢を超えると、お盆やお正月というのは、肉親の老いに改めて直面する機会でもあるようです。

(おふくろ、老けたな…)

 という感慨も、お正月であれば新年をことほぐ喧騒に紛れてしまいますが、お盆は先祖供養を目的としているために、墓に線香を立てる母親の小さな背中にも、確実に忍び寄る死の影を感じてしまいます。親が逝った年齢に近づいて、その親が眠る墓石に手を合わせる母親は、冥福を祈るというよりも、もうすぐ私もそちらに行きますからと報告しているように見えます。そしてそれは間違いなく遠くない将来の自分の姿なのです。

 名古屋に戻り、暑気払いにカキ氷を食べようと入った喫茶店は、色鮮やかなケーキと飲み物を前にした若い女性客で一杯でした。

 幸い並んで空いていた二人掛けの丸テーブルの片方に席を取ると、続いて隣りの席が二人連れの男女で埋まり、これで店は満席になりました。隣りのテーブルの女性は、座るが早いか早口で、

「よかったわね、空いていて」

 ちょっと値が張るけどこの店はケーキが美味しいからよく来るのだと自慢げに言いました。その場違いな大声に誘われるようにチラリと視線を向けると、ワイン色の縞模様のワンピースをお洒落に着こなした四十代と思しき女性が、メニューを見ながらおしぼりを使っています。向かい側には、白髪を短く刈り込んだTシャツ姿の痩せた老人が、茶色の半ズボンから細い足を覗かせていました。

「お父さんはシュークリームとアイスコーヒーでしょ?シロップは要らないわよね、甘い物は体に悪いから」

 決め付けるように言う女性の言葉から二人が父と娘であることが判ってみると、コンクリートに囲まれた都会のお盆にも親子の再会があるのだと微笑ましく感じましたが、やがてカキ氷を食べる私の耳に断片的に聞こえて来た娘の声は、微笑ましいはずの都会のお盆の印象をすっかり塗り替えてしまいました。

「そりゃ、みんなのものだから、私だってゴミぐらい出すわよ。出すけれど、私の部屋の前にあんなふうに袋を置くのは感じ悪くない?そうでしょ?私、あの人のああいうところがどうしても好きになれないのよね」

「お父さんも七十過ぎて、あの人と一緒じゃこれから苦労すると思うよ。どんどん体が利かなくなって行くんだからね」

「私、親子だから分かるのよ、あ、これ以上言うとお父さん、キレる…って。無口な人ってそうなのよね。何も感じていないように見えて我慢してるの。それが分からないから困るのよ、あの人は」

「お父さんだって楽しいんじゃない?娘と孫との三人の暮らし…。七十二でしょ?年とってヨイヨイになったって、あの人じゃ、ちゃんと看てくれるかどうか分からないもの」

「一千万は仕方ないわよ。口にしちゃったんだから渡せばいいんじゃない?でも、それできちんとけりをつけなきゃ。大変なのはこれからなんだからね」

「あんな泥棒ネコみたいな人、やっぱり籍を入れたのが間違いだったのよ。お父さんも若かったから反対はしなかったけど、心配した通りになったってことよね」

 合間合間に父親が小さな声で何か言う度に、娘がそれを笑い飛ばしました。

 盗み聞きは誉められたことではありませんが、勝手に聞こえて来る会話をつなぎ合わせながら、私は蜘蛛の巣を連想していました。網にかかった小さな獲物を蜘蛛は細くて粘着質な透明の糸でぐるぐる巻きにして行きます。相槌は打たないまでも、明確な意思表示をしないまま会話を交わしているうちに、父親は娘が繰り出す言葉の糸で身動きが取れなくなって行くようです。そしてすっかり糸にからめとられた哀れなトシヨリの人生は、はてさてどんな結末を迎えることになるのやら…。

 父親がよろりとトイレに立ちました。

 辺りが突然静かになりました。

 ふと見ると、足を組んで窓の外を見やる娘の横顔には、競技に臨むアスリートのような精悍な闘志がみなぎっていたのでした。