語尾の不思議

平成24年02月03日(金)

 行くという言葉の語尾に色々な平仮名を一文字だけくっつけて比較するだけで面白い世界が広がりました。

 まずは「ぞ」をつけて、「行くぞ」というと、ちょっと乱暴な男同士の会話が展開します。相手は同僚か部下でしょう。「行くぞ」と言われれば、もちろん返事は「はい」か「おお」か「ああ」になりますね。いずれにしても気の置けない関係です。決して自分より目上の人に対して「行くぞ」とは言いません。「そろそろ行くぞ」と新入社員に言われて、係長がうっかり、「はい」と答えるだけで笑えるコントができあがります。

 「行くぞ」が「行くぜ」になると、言う側にわずかな気取りが加わります。実力以上に見せるための背伸びではなくて、わざと崩れて見せる気取りです。ちょっと悪ぶるというか、アウトローな感じですね。使い手はもっぱら男です。

「みんな、行くぜ!」

 と言えば、兄貴分が格下の仲間に弾みをつける場面が浮かびますし、

「それじゃ、行くぜ」

 と言えば、義理か仕事か、未練を封じて恋人に別れを告げる男の気負いが感じられます。

 たった一文字の語尾が「ぞ」から「ぜ」に変わるだけでこれだけの違いが生じるのですから言葉って不思議ですよね。

 これが「行くよ」となると印象はガラッと女性的になります。やはり相手は立場が下の者か友人でしょう。女性でなくても、例えば遊びに夢中になっている子共に、さあ帰ろうと促すときは、

「ほら、美味しいカレーができたって、お母さんから電話があったから、行くよ」

 お父さんも「行くよ」を使います。「よ」は柔らかくてやさしい響きを持っているのですね。

 一方、「行くね」になると、相手の了解を得るニュアンスが生まれます。

 例えば、

「行くね」

 と彼を見つめる彼女の視線をかわして、

「…」

 彼は怒ったように黙って地面を見ています。

「本当に行くからね」

 彼女がくるりと向きを変えると、

「…ここにいてくれないか」

 彼が低い声でぼそりと言いました。

「え?」

「結婚しようって言ってるんだ」

「ホント!」

 こんな男女の場面の冒頭に使われる「ね」には、了解を求める気分を超えて、紙一枚ほどの甘えや媚びが潜んでいるような気がします。

 ところが「の」になるとどうでしょう。「行くの?」ではなく、単なる「行くの」には、微妙ではありますが、行くことに対する決意が込められているような気がします。これも使うのは主に女性です。

「お前、まさか…」

 と言われて、

「行くの」

 と続けば、止めても無駄よ、もう決めたんだから…という頑なさが匂いますし、

「お前、とうとう…」

 と言われて、

「行くの」

 と続けば、不本意ながら決心した気持ちが伝わります。

 「の」を「さ」に変えて「行くさ」となると、当然なこと聞くなよという感じになりますね。

 これは男が使う場合が多いように思います。

「お前はどうするんだ?」

 と聞かれて、

「行くさ」

 というときには、もちろん行くに決まってるだろ、という気分が漂います。同じ気分を女性言葉にすると、「さ」は「わ」に変わります。女性に「行くわ」と言われた側は、もはや心変わりは諦めて、静かに見送るしかなさそうです。

 ぞ、ぜ、よ、ね、の、さ、わ…。並べて見ればただの単音に過ぎない平仮名一文字が、語尾で変化する度に、伝わる気分が変わってしまう繊細な言葉の国に住んでいることを幸いに思います。ただ、細やかな気分を表す語尾を使い分けようとすると、圧倒的に女性言葉が多くなってしまうところに、長い年月をかけて培われたこの国の男と女のありようが窺い知れますが、それはまた別の主題です。