ご隠居と親方の表現力

平成25年05月18日(土)

 デカルトは「我れ思う、故に我れ在り」と言いましたが、ものは思っただけでは人には伝わりません。天下のデカルトといえども、「我れ思う、故に我れ在り」と表現しなければ、彼の思考は客観的な事実にはならないのです。

 人と人との交流は、一緒に行動して同じ気分を味わうことも大切ですが、互いの心の中を理解しようとすれば、どうしても思っていることを言葉で表現しなければなりません。表現する力が不足していると、互いの意思疎通には齟齬が生じます。齟齬は誤解を生み、誤解は人間関係を壊し、壊れた人間関係の中では、人は生きている喜びは感じられないのです。

 情報量が増え、伝達手段が発達した現代だからこそ、それに見合った表現力が個々人に備わっているかと思いきや、まるで社会の進歩に反比例するように、会話の力は衰えてゆくように思います。能力は必要に迫られて発達するものですから、たいていの情報がインターネットから簡単に取り出せるようになるに伴って、情報を探す能力は飛躍的に進歩する一方で、自分で考えて表現する力が衰退するのは当然の結果なのでしょうね。お詫びの手紙を書こうとすれば、インターネットで探した雛形を参考に、卒のない詫び状が簡単に書けますが、迷惑をかけた相手にその場で謝らなければならない場面では、うまく言葉が綴れないのです。

 インターネットも携帯電話もなくて、人と人とが直接対面して意思疎通を図っていた時代の人間関係の修復の仕方を、志ん朝が演じた「雛鍔」という落語の、ご隠居さんと植木職人のやり取りに見つけました。以下紹介して、その巧みな話術の中に散りばめられている高度な技術の数々に、まずは驚いて頂きたいと思います。


「こんちわ、ごめんなさいよ」

「はいはい、だあれ?お、いけねえ、おい、ご隠居さんだ、あ、ど、どうぞ、どうぞ、どうもご隠居、何ですね〜、こんな汚いところへわざわざ来られちゃ困っちゃうなあ、え?いや、ご用があるんだったらね、小僧さんでも誰でも寄こしてくれりゃ、あっしの方からすぐに伺いましたのに」

「いや、いいんだ、いいんだよ。あたしゃね、今日はね、勝手に来たんだから、んなこたあ気にしないでおくれ。ちょいとね、話があるんだよ、ねえ、お前さん、今、暇かい?」

「ええ、今、仕事から帰って来たところなんで、ええ、暇でごさんすよ。何です?まあ、お上んなさい」

「そうかい。うん、そいじゃね、ちょいとね、上がらしてもらおうかな」

「ええ、さあさあ、どうぞどうぞ、ね、そんなとこにいないで、こっちいらっしゃい、こっち、え?こんな小汚い家だ、上座も下座もねえけどもね、そこんところ、カカアが動きますから邪魔んなる、ね?ま、まあまあ、そんなこと言わねえで、おい、おっかあ、座布団、座布団。さ、まあまあ、まあまあお当てんなって、お当てんなって」

「そうかい、済まないね、そいじゃあ遠慮なしにね、じゃあ当てさしてもらおうかな。実はね、親方、あたしがこうやって来たのは、おおよそ見当がつくだろうと思うけどさ、ねえ、こないだお前さんがうちの店でね、大きな声でもって酔っぱらって、こんなうちは出入り止めだって、怒鳴ってった、啖呵切ってたってのをあたしゃ聞いてね、いやあ、いやいやいや、だから、ちょ、ちょっと待っとくれ、え?あたしの話しを先に聞いちゃっとくれ、いいかい?ね?、そいでね、おかしいなあと思ったんだよ、ねえ、長年うちに出入りの人、よ〜く知ってるんだ、ね、そりゃ気の長い人じゃないけれども、何か面白くないことがあったからって、いきなり怒鳴るなんて人じゃない。何かありゃ、いつでも、あたしなり、倅なりに文句を言う人なんだ、え?それが、店先でもって怒鳴り散らすなんて、そりゃおかしいなあ…それに酒がね、入ってるといったってね、一緒に飲んだことも何度もあるよ、ねえ、だけども酒の上の悪い人じゃないし、どうしたことなんだろうと思ってたんだよ、ん?で、番頭さんに聞いたら、いや、あれは実はご隠居、今、植え替えもんの仕事をやってもらっているあの植木屋さんを見て、親方が怒ったんだと、こう言われてねえ、あ、そうか、そりゃ断らないこっちがいけなかったと思ってね、うん。まあ、訳をよく話をすれば、ね、長年の付き合いだ、気心も知れてるんだ、お互いに江戸っ子だからね、ま、すぐにこっちの気持ちを分かってくれるだろうと思ってさ、いや、番頭さんが行くってのを、いや、いけないよ、あたしが行って来るよってんで、まあ、あたし、こうしてね、出て来たんだ、ね。いや、だから、ちょっと聞いとくれ、あれはね、こういう訳なんだ、実はね、ん…植え替えもんをね、早くやってもらいたくってさあ、で、お前さんとこへ番頭さん寄こしたろ?ね?で、帰って来て番頭さんがね、親方に頼んだんですけれども、お屋敷の方の仕事が忙しくって、今来られませんって、断られたって、こう言うからね、そうかいってんで、こっちもね、ちょいとね、がっかりしちゃったらしいんだ、え?いや、がっかりはしたよ、それをね、番頭さんが察したんだね、じゃあ、どうです?私の知り合いに植木屋がいますけど、それにやらせますかって、言ってくれたんでね、ま、それにゃおよばないよって断っちゃえばよかったんだ、あたしがね。ところがさ、年取ってくると何かと気が急いて、早くやってもらいたいし、早く見たいもんだからさ。そうかい、じゃあ、親方には悪いけどさ、植え替えもんの仕事だけを、その人に頼もうかてんで、頼んだんだよ、うん。あの人にこれから先もずっとやってもらう訳じゃないんだ。え?あの人だってそれは心得てるんだ。これから先、やっぱり、うちの庭は親方に面倒見てもらいたいと、ま、こう思ってるんでね。ま、そこんところ、いや、番頭さんは悪くない、あたしが悪い、あたしの勝手からこうなったんでね。ま、年寄りの言ったことだよ、どうかひとつ親方ね、え?機嫌を直して、またうちの仕事をやってもらいたいんだ。な?え?親方。この通りだ」