不安産業

平成26年09月28日(日)

 人々の欲望が物やサービスになって、貨幣を媒介に盛んに移動することを経済活動と言い、その活動が活発である様子を景気がいいと言うのだとすると、人々の暮らしが欠乏を脱し、衣食住が足りてしまった社会では、肝心の欲望が縮小して、現状維持を基調とする穏やかな経済活動に落ち着くのは当然と言わなくてはなりません。それを成熟社会と言うのでしょうね。生産手段の機械化が進み、人間の労働を限界まで省いた安価な製品や、人件費の安い国で生産された品物が大量に出回って、スーパーや量販店、あるいはネットショップに商品が溢れているにもかかわらず、その昔国民を熱狂させた、テレビや炊飯器、洗濯機や冷蔵庫に相当する、それによって生活が一変するような商品は見当たりません。欲しいものがなければ景気は悪く、景気が悪ければ人々の財布の中は決して豊かではないはずなのですが、それでもとりあえず衣食住は足りています。そうなると企業は欲望を開発するしかありません。そこで登場するのが不安産業なのです。

 生命は一日一日死に近づいて行く営みですから、生は本来不安の上に成立しています。誰もが避けることのできない死や、死の前に立ちはだかる病に対する不安を商品化すると保険になります。かつて医療は公的な保険で保障されていましたから、保険と言えば生命保険と自動車保険と火災保険でしたが、いつの間にか全ての公的医療保険の自己負担は三割になり、従来からの個室料金に加えて入院中の給食も自費になり、それに備える民間医療保険のコマーシャルが盛んに放送されるようになりました。政府は、日本が誇る皆保険制度は死守すると言っていますが、保険財政の持続可能性を大義名分にして保障水準を最小限に抑え、水準を超える治療については民間保険の市場として開放する気配を感じます。一部保険外併用診療を認めたことが布石のように思えてなりません。これからは、所得同様、医療…つまりは命にも、加入する民間保険によって大変な格差が生じる時代になりそうです。

 病気にならないための健康不安を商品化したものはたくさんあります。高血圧の予防や血糖値の低下、さらには血液をサラサラにする効果を謳ったお茶には、特保という政府のお墨付きがついています。関節機能の老化を防止する薬品のような名前の健康食品、膨大な種類のダイエットサプリ、健康運動機器に健康シューズ、ノンアルコールビールやカロリーオフ飲料、磁気ネックレスからゲルマニウムブレスレットに至るまで、健康の保持増進のための商品は数え切れません。ひょっとすると人間ドックも、その後の精密検査も予防注射も、経済活動の一環としてとらえれば、不安産業の最たるものと言えるかも知れません。人々の健康不安をかきたてる情報がテレビや新聞、雑誌を通じて毎日のように提供され、不安は商品となって駆け巡ります。

 老化の不安は、容貌の衰えを恐れる女性をターゲットにして、年齢肌化粧品やウィグとして高額で商品化されています。口臭や汗の臭いに対する不安も商品化されています。老化や臭いに限らず、美しくありたいと願う女性の欲望は、身のこなしや言葉遣いの美しさを置き去りにして、大量の化粧品として商品化され、短期間のバージョンアップを繰り返しています。黒コンで瞳を大きく見せ、ヒールの高い靴で足を長く見せ、眉をシャープに整えるだけではもの足りず、最近では美容整形外科がたくさんの顧客を獲得しています。決して安くない手術費用を支払い、しかも、ある程度のリスクを覚悟して手に入れる、二重まぶたも、鼻筋も、ぽったりとした唇も、綺麗な歯並びも、背後には、自分は美しさにおいて他人より劣っているのではないかという不安が存在しているように思います。最近では葬儀や墓地のコマーシャルも出現しました。とうとう死後の不安まで商品になったのです。しかも商品を売り続けるためには不安もまた更新し続けなくてはなりません。新しい不安の開発はもちろんのこと、当社比較と称して、より高い効果を謳う商品へのバージョンアップが欠かせません。ということは、私たちはこれから先も不安を掻き立てられながら生活して行くのです。

 しかし、そろそろ考えてみなければなりません。常に不安を煽られながら暮らす生活は幸福でしょうか?不安に備えるのは智恵ですが、不安に怯えるのは不幸です。足るを知る…。「今」に満たされない者の人生は空疎です。それに気が付いた人が増えて、この国がいい顔をした人で溢れるに従って、不安というエネルギーを失った経済は減速し、貧しい一等国になるのかも知れませんね。