迷路

平成26年05月24日(土)

 買ったばかりの携帯電話の電池がすぐに減ってしまうので、携帯ショップに相談に出かけたときのことです。娘より若い女性店員に事情を説明し始めたところへやってきた一人のおじいさんが、私と店員の間に無遠慮に割って入り、手に持った袋から家庭電話の子機を取り出して言いました。

「これの親機を売ってもらえんですか」

「え?あの…うちは携帯電話の店ですので、家庭電話はちょっと…」

 見るとNTTの製品でしたので、

「これはNTTに電話された方がいいですよ」

 私が口を挟むと、

「あんたね…」

 おじいさんは、我が意を得たりとばかり憤懣をぶちまけました。

「NTTに電話したことがありますか?こういう用件なら何番を押せ、別の用件なら何番を押せ、正しければ何番を押せ、間違えたらもう一度初めからやり直せって、それをあんた、こちらの理解力などお構いなしのスピードで機械がしゃべるんですよ、機械が…。何度やり直してもうまくいかんので諦めましたが、結局、最後まで人間の声は聞かれませんでした」

「それ、分かります。宅配業者もそうですよね」

「JRも、郵便局もそうです。もしもし、あの…と話し始めたのに、オデンワ アリガトウゴザイマス コチラハ ニホンユウビン サイハイタツ ウケツケセンターデス ハジメニ コメジルシノボタンヲ オシテクダサイ…なんて、一方的に機械がしゃべり始めると、私のような年寄りは、それだけで電話を切ってしまいます」

「家庭電化製品の量販店に行かれたらどうですか?お店なら店員さんが対応してくれるでしょう?」

「もちろん行きましたよ、近所の量販店に。しかし、子機から機種を特定して親機の在庫があるかどうかを確認するまでに、ちょっと待って下さいって、店員が三人代わりました。そのあげく、同じ機種はもう販売されていないから、親機をメーカーに送って修理するしかないが、修理は買い替えるより費用がかかるので、新しい電話機を購入したらどうかと言われたのですよ」

「確かに家電製品は修理するより新品を買った方が安い時代ですからね」

「しかし、この年になると、もうこれまでと違う機種の操作方法を覚える気力も能力もありませんよ」

「なるほど、分かります…」

 困ったことですねと、深々とため息をつく私の様子を見て気が済んだのか、お年寄りは肩を落としてお店を出て行きました。

(超高齢社会だと言うのに、どんどんお年寄りに優しくない世の中になってゆく…)

 私はそのときしみじみそう思いましたが、実はその直後から、自分自身が同じ立場に立たされることになったのです。


 充電できない状況を一通り聴いた店員は、私の携帯番号をコンピュータに打ち込んで、

「良かったですね、購入されてまだ十一日目ですので、無料でお取替えできますよ」

 長いまつ毛の下から、にっこりと私を見ました。面倒なことになるに違いないと身構えていた私は、

「え?新品と換えて下さるんですか!」

「ええ、購入して二週間以内の不具合なら大丈夫です」

 喜ぶ一方で、そんなルール、購入したときには聞いていなかったぞ…と思いました。恐らく説明書のどこかに小さな文字で書いてあるのでしょうが、これは購入時にきちんと説明すべき重要事項ではないでしょうか。

(あと三日、店に来るのが遅れていたら…)

 と、谷底を覗いたような気持ちに襲われている私を意に介さず、

「製品を日本で製造しなくなってから、どこのお店も不具合が増えてるみたいですよ」

 店員は世間話のように、そう言いながら、

「同じ色で大丈夫ですか?」

 古い携帯電話のデータを手際よく新しい携帯電話に移したあとで、

「フォーマット、しておきますか?」

 と尋ねました。フォーマットという言葉の意味が分かりませんでしたが、必要な手続きなのだろうと解釈して、

「お任せします」

 と答えたのが間違いでした。


 新しい携帯電話を受け取って、その場でデータの移動を確かめた私は愕然としました。マイクロSDに保存してあったはずの写真が一枚もありません。家族の写真、懐かしい仲間のスナップ、年に一度のお祭りの風景、旅行の思い出の数々…。デジカメを持たない私が、これだけは残しておこうと厳選してカードに移し、折に触れて眺めていた大切な写真がすっかり消えているのです。

「写真は?写真はどうなったのですか?」

「え?」

 店員は携帯電話を奪い取るようにして、あれこれ操作していましたが、

「前の携帯に不具合が生じたときにデータが消えてしまったのかも知れませんねえ…」

 と顔を曇らせて同情してくれました。

「お気の毒でした」