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金魚のストレス
平成28年09月14日(水)
水槽にカラフルなビー玉を敷き詰めた上に人工の水草を配置し、濾過装置のスイッチを入れて金魚を放すと、二匹は水槽狭しと泳ぎ始めました。ビー玉は付属のLEDライトに照らされて美しい光を放っています。粉末の餌は、パラパラと水面に撒くなり、濾過装置から落ちる水流で水槽内に拡散します。それを狂ったように食べあさる二匹の金魚は、浮遊する餌を食べ終えてなお、ビー玉の隙間に沈んだ餌を食べようと、体を垂直にしてもがきます。その動きがわずかにビー玉を揺らして、水槽内でカチカチと硬質な音が響きます。逞しさでは定評のある金魚だけあって、二匹とも闘争心が強く、餌を食べないときは常時小競り合いをしています。金魚から想像するのんびりとした癒しの世界とは異なり、盛んに攻撃し合う様子は獰猛なピラニアを連想させました。
「またビー玉が動く音がするわ。食べてるか喧嘩してるかの、どちらかだよね、この二匹…」
「か弱いメダカは死んじゃうし、逞しい金魚は喧嘩ばかりしてるし、生きものは思うようならないなあ…」
口を尖らせてビー玉の隙間の餌を食べようと懸命に体をよじらせる二匹の様子を眺めながら、その時私は突然金魚の気持ちになりました。
目の前に餌があります。
いい匂いが立ち上っています。
しかし餌はビー玉の隙間に入り込んでどんなに口を尖らせても食べられません。
そう言えばいつだったか、洗濯機と壁の隙間に落としてしまった靴下が、棒を差し入れて何度掻き寄せようとしても、わずかに届かないことがありました。瀬戸物の貯金箱を割るのが惜しくて、硬貨を投入口から取り出そうとして、最後の一枚があと一歩のところで取り出せないことがありました。筒状に巻いてあるキッチンラップの先端が発見できないことに腹を立て、まだ新しいラップを捨てたことがありました。奥歯の隙間に挟まったスルメを取ろうとして終日舌でいじっているうちに、舌先を痛めたことがありました。
二匹は狭い水槽の中で、四六時中この種のストレスに晒されて生きているのです。目の前にあるのが靴下ではなくて食べ物となれば、そのイライラたるや想像に余りあります。
「わかった!餌が食べられないのがストレスなんだ!」
私はメダカ用の小さな白い網で二匹の金魚をすくって茶碗に移しました。
「ちょっと!茶碗に金魚なんて入れないでよ!」
「魚だぞ、汚くないよ」
信じられないと…いう妻の抗議をやり過ごし、水槽のビー玉を全部取り出して、代わりにメダカの時に使った白砂を敷きました。
「あなた、また金魚の環境を大きく変えようとしてるのよ!魚たちにとってはそれもストレスだと思わない?」
傍らで妻の抗議は続きましたが、水槽に戻した金魚には劇的な変化が生じました。二匹は、落ちた餌を砂ごと吸い上げては、砂だけを器用にプイと吐き出す動作を繰り返します。やがて寄ると触ると喧嘩の絶えなかった攻撃性は見事に改善されて、獰猛なピラニアはその日のうちに穏やかな金魚に変身したのでした。
ストレス…。
金魚ですらそうなのですから、現代社会のストレスがじわじわと人間に及ぼす影響はいかばかりかと思いを巡らした時、昨今マスコミを賑わす凄惨な事件のあれこれが脳裏に浮かんで、私は暗澹たる気持ちになったのでした。
終