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不健康な高齢者
平成28年07月18日(日)
入院当日は、憂鬱な気分とは裏腹に、爽やかな初夏の青空が広がっていました。病魔に蝕まれた男に、陽気なカッコーワルツがあふれる喧騒の街をさまよわせることによって、彼が抱いている恐怖や不安を効果的に描いた「野良犬」という黒澤明の映画を思い出しました。案内された病室の窓からは都会の日常が見下ろせました。おしゃれな模様の日傘を差してゆっくりと坂道を上ってゆく女性も、ジョギングの足を止めないで信号待ちをする男性も、コンビニの前で煙草を吸うスーツ姿のOLも、お婆さんの先に立って誇らしげに胸を張るチワワまでもが、健康な世界の住人でした。私はと言えば、患者様と呼ばれて丁重に扱われはするものの、近代的な白い建物の中で刑の執行を待つ哀れな囚われ人でした。一日目は簡単な事前検査と翌日の説明があり、二日目は看護師に伴われて車椅子で検査室へ向かいました。歩けるのにどうして車椅子なのかと不思議でしたが、車椅子に乗ったとたんに気分は病人になってしまいます。
待ち受けていたのは想像していた通り、男にとっては何とも忌まわしい形のベッドでした。あらかじめ下半身を脱いだのか、穴の開いたパンツを履かされたのか覚えていません。仰向けになってベッドの両サイドに設置されたサドルのようなものに左右の足を乗せた状態で、足首を固定されたような気もしますし、固定されなかったような気もします。差し迫る恐怖を前にすると、些末なことは記憶の網の目をすり抜けるのですね。周囲には看護師が二人だったか、三人だったか…その数すらあやふやです。
「さあ、始めます。ちょっと気持ち悪いですが我慢して下さいよ」
大きく開いた私の両足の間で医師が肛門に何かを挿入する気配がしますが、腹部に垂れ下がるカーテンに視界を遮られて見ることができません。
やがて準備が整ったのでしょう。
「それでは針を刺します。少し衝撃がありますよ」
という声に続いて、パン!という音がしました。
縁日の射的のような音です。
同時に下腹部に鈍痛が走りました。
耐えられない痛みではありませんが、内臓が直接ダメージを受ける感覚です。
体に悪いことが起きているぞ…と、本能が悲鳴を上げる痛みでした。
「はい、次の針を刺しますよ」
パン!
「では次の針を刺します」
パン!
これが十二回続くのです。
私は心の中でパン!という音を十二から逆に数えていました。数が減って行くことだけが希望でした。
十…九…八…七…。
あと二回…。
これで最後…。
パン!
「さあ、終わりました。お疲れさまでしたね」
と言われた時、私の背中は、あぶら汗でべっとりと濡れていました。
その日は大事をとって病院で泊まり、検査結果は一週間後に外来で聞くことになりましたが、恐れていた通り、下腹部にはいつまでも違和感が残りました。排尿、排便の都度、便器が真っ赤に染まりました。
「残念ですが癌細胞が見つかりました。しかし早期発見ができたという意味では幸運と言うべきでしょう。さて、手術はいつにしますか?」
と言われた時のために、二週間連続して休みが取れる日程を検討しながら、何度絶望的な気分になったことでしょう。
長い長い一週間でした。
待合室で診察の順番を待つ私は、刑の言い渡しを待つ被告人の心境でした。
頭上の電光掲示に受診番号が表示されて、恐る恐る診察室の丸椅子に座った私に医師が判決を下しました。
「良かったですね、癌はありませんでしたよ」
ドアを開けたら、いきなり青空が広がっていたようで、
「そうでしたか!有難うございます。安心しました」
喜びを隠せない私に、
「ただ…」
医師はにこりともしないで言いました。
「あくまでも採取した十二か所の細胞には見つからなかったということですからね」
定期的に検査を受けるといいでしょうと言われて、私は自分の足首が太い鎖でつながれていることを意識しました。鎖の先端には不安という重い鉄球がついています。これから先の人生は不安の鉄球をひきずりながら生きて行くことになるのでしょう。前立腺がんという週刊誌の文字を見ては怯え、早期発見というポスターを見てはおののき、尿の回数が多いと言っては心配し、尿の出が悪いと言っては気落ちするのです。
こうして不健康な高齢者が一人誕生しました。
どう考えても、人間ドックを受けるようになってから、私はめっきり不健康になったのです。
終