相模原事件考

平成29年08月04日(金)

 相模原事件からもう一年が経ちました。もう一年!と感じるところに事件の衝撃の大きさが表れています。阪神淡路大震災も東日本大震災もニューヨーク同時テロも、衝撃の大きかった事件は風化しませんね。感情を伴った記憶は、感情が大きければ大きいほど深々と脳に刻まれて、何年経っても昨日のことのように蘇ります。逆に言えば、感情を伴わない単なる事実の記憶は簡単に忘れ去られるのですね。

 意思疎通も図れないような重い障害を持つ人間は、存在そのものが社会的損失である…と考えた一人の若者が、十九人もの施設入所者を計画的に襲撃して惨殺した事件が相模原事件です。しかもその若者が施設の職員であったため、問題は入所施設の規模や運営の在り方にまで及んで、大きな波紋を呼びました。

 事件発生から一年の節目を迎え、新聞各紙は特集を組んで、遺族や読者や識者から犯人を憎む声が多数寄せられましたが、ネットの世界では、犯人を擁護とまでは行かないまでも、殺害動機について一定の理解を示す人々もいるやに聞き及びます。そこで、私なりに事件をもう一度振り返り、障害者の支援の正当性について根本的に考えてみたいと思います。

 人権をテーマにした講演会の講師を依頼されると、私はよく会場にこう問いかけます。

「皆さんが考えられる最も重い障害を持った人を想像してみて下さい。この場合、意思疎通は可能ということにしましょう。水が飲みたい、お腹が空いた、背中が痒い、トイレに行きたい、といった欲求は、介護者に伝えることができます。さて、あなたがその人の介護に従事するとしたら、時給いくらなら引き受けますか?」

 参加者にマイクを向けると、どこの会場も千円から二千円の範囲の答えが返って来て、千円以下の金額を答える人はありません。

 それだけ大変な仕事だという認識で共通しているのでしょう。

 そこで、こう続けます。

「最重度の障害ですから、二十四時間の介護が必要ですが、時給千五百円と考えて、一年三百六十五日、さあ、皆さんが想像した障害者のケアには、年間でいったいいくらの経費が必要になるか、計算してみて下さい」

 早速、参加者の何人かがスマホの画面を操作して、

「一千三百十四万円です」

 一分と経たずに答えを出してくれました。

「それが最重度の障害者の生活を支えるための年間の介護費用です…ということは、あなたの年収が四百万円として、三人以上の人の給料を全部注ぎ込んでもまだ足りない金額ということになります。さて、一人の障害者の介護にそれだけの税金をかけることについて、皆さんの意見をお伺いしますね」

 と前置きして、

「それは社会の必要経費であって、金額の問題ではないと思う人は手を挙げて下さい」

 会場に投げかけると、数えるほどの人数が、しかし堂々と手を挙げます。ところが、

「一千三百十四万円にも上る金額を、たった一人の介護のためにかけるのには疑問があると思う人は手を挙げて下さい」

 という問いには、会場の半数近くの人が、ためらいながら手を挙げるのです。挙手をしそびれた人は、にわかに判断ができ兼ねるという意味では、後者に属する人と考えていいでしょう。

 私はここに、私たちの心に巣食う、相模原事件と同根の闇が存在しているように思うのです。

 以下、煩雑でも賛成派と反対派の典型的な議論をご紹介しましょう。

「今回、意思疎通が可能な重度障害者の場合という前提で話しが始まりましたが、私は、意思疎通の有無で、介護の必要性を論ずるのは問題だと思います。確かに、意思表示ができなければ、障害者は自らの欲求を表現できませんから、ケアは介護者の判断による一方的なものになりがちだとは思いますが、いずれにしても意思疎通の有無に関わりなく、人間らしい生活を支えるために必要な介護は保障されるべきだと思います」