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1.人格変化(房子Ⅱシリーズ)
謙一夫婦がグループホームを訪ねると、房子は帽子を被り、いそいそと外出の準備をし始める。
「待ちに待った日曜日ですよね、房子さん。今日も美味しいお昼を食べて来て下さいね」
職員は房子にダウンコートを着せながら、
「週末を楽しみにされるようになってから、帰宅願望はめっきり減りましたよ」
陽子にそっと耳打ちをした。
「それでは皆さん、ちょっと出かけて来ます」
房子は残った八人の入居者に軽く会釈をしたが、八人は居間のテーブルの定位置に座ったまま挨拶を返す気配はない。
「みんな、うらやましいんやぞ。こうやって家族と出かける者は少ないでなあ」
返事のない寂しさを、そう自分に言い聞かせて房子は歩き出した。
「お昼にはまだ時間があるから、散歩しながら何を食べるか考えようよ」
「おお、三歩でも四歩でも歩くぞ」
房子は認知症でも駄洒落が得意だった。
故郷のグループホームは、一歩外へ出れば馴染みのある景色ばかりである。できるだけ長い距離を歩かせて筋力低下を防ぎたいが、懐かしさが帰宅願望に発展しないとも限らない。謙一はそれを警戒して自宅近辺は散歩コースから巧みに外した。しかし想像以上に見当識が失われているのか、どんなに懐かしい街並みを歩いても、そろそろ帰ろうと言えば、房子は抵抗なくグループホームへ向かう謙一夫婦に従った。
「助かるわね、お母さん、家に帰るって言わないから」
帰りの助手席で陽子が言った。
「あんなに穏やかな人じゃなかったけどなあ…。それにしてもいつ行っても入居者がテーブルに向かってぼんやりしているのが気になるよなあ」
「あなたもそう思う?」
「あんな風に穏やかにいられるのなら自宅で暮らせるだろうに」
「一人暮らしの場合、金銭や火の管理ができないだけで生活は破綻するからね」
「おふくろもそうだったよな」
と言いながら、二人とも心に薄紙一枚ほどの違和感を感じ始めていた。今頃は房子も決められた席に座って、誰と会話を交わすこともなく、ぼんやりしているのではないだろうか。ホームの生活に慣れたというだけでは説明し切れない緩慢な変化が、房子の人格の内部で進行しているような気がしてならないのである。