24.あとがきⅢ「専門性」(房子Ⅱシリーズ)(最終回)

 一般に専門性を構成する要素は「価値」と「知識」と「技術」と言われる。対人援助に携わる者が立脚すべき価値は、人権…すなわち本人の意思、つまりは主体性の尊重ということである。無理強いをしないことと考えれば分かり易い。ところが援助の相手が認知症高齢者となると、記憶や認知能力の欠如により、肝心の本人の意思が、必ずしも本人の利益に適う合理性を持たないところが問題なのである。そこでケアに携わる者には、認知症一般に関する知識を超えた個別性が必要になる。学者であれば一般論としての知識だけで十分であり、むしろ認知症全般に通用する普遍的な知識を抽出することが研究者の本分かも知れない。しかし援助者としては対象となる高齢者個人についての知識がなくては、適切な援助を実現するための技術を十分には発揮できないのである。

 はるかぜの施設長は入居の面接に当たり、陽子の友人を装って、遠方にあるグループホームにわざわざ房子を訪ねた。外出と食事に同行し、目にとまる町のあれこれについて説明を求め、房子の歩行能力や嚥下能力はもちろん、見当識の状況や意思の疎通の程度をつぶさに観察した。診察室や面接室のような切り取られた場面での観察と比べれば、生活場面での観察は得られる情報量が格段に多い。さらに施設長は、房子にとって馴染のあるスポットをカメラに収め、入居時には、房子の好みの花と故郷のアルバムが、新しい環境に対する不安を和らげた。これが技術である。

 加えて、はるかぜの施設長は謙一にかなり詳細な房子の生活歴を書かせて、スタッフ全員で共有した。新しく受け入れる入居者について、性格の記述や、食事の好みや、認知症の進行状況をもって理解したつもりになるのは早計である。

 房子が伊勢湾台風で恐ろしい思いをしたことを知っていれば、房子が何らかの理由で不安定になったとき、「そう言えば房子さん、伊勢湾台風って覚えていらっしゃいますか?」と話題を誘導して気分転換を図ることができる。印刷工として紙を素早く正確に数えていた過去を知っていれば、所在無げな房子に、紙を数える適当な作業を頼むことで、特技の発揮と、周囲から承認を得る機会を提供することができる。これが技術である。スタッフに専門技術があれば、帰宅願望が認められるからといって、安易に認知症薬に頼るはずがない。房子の好む話題を提供して、玄関から居室に誘導することができたはずなのである。個人に応じたストーリー・ケアは、本人に対する立体的理解に基づいた高度な専門技術に支えられている。

終(最終回)

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