誤算Ⅴ

平成30年03月30日

 弁護士による申立てであるからか、美佐子に対する後見開始の手続きは順調に進んだ。診断書の情報だけで重度の認知症であると判断ができたのだろう。本人への面接はなかったが、敦子に対する調査官による面接は綿密だった。

「ええっと、申立ての資料によると、美佐子さん名義の財産が、現在お住まいの土地家屋と、借家が一軒、それに預貯金や株の類を合わせると…これ、相当の金額になりますが、お父さまが亡くなられたとき、二人のお子さんは相続を放棄されたのですね」

「はい。広島の妹と話し合ってそうしました。突然夫を失って落胆している母に、とても相続の話はできませんでした」

「なるほど。こんなことを申し上げてはあれですけど、お母さまは遺言を残していらっしゃらないようですが、お母さま亡きあとは、相続の関係で妹さんとの間でトラブルは考えられませんか?」

「は?」

「いえ、お気を悪くされては困ります。後見人はお母さまの財産を管理しますから、誰を後見人に選任するかという判断材料としては、この辺りの事情は大変重要になるのです」

「財産のことよりも、母に不適切な介護をしたグループホームに対して損害賠償を請求したくて後見開始の申立てをしたのです。私が無理なら梶浦弁護士を選任して下さい」

「せっかくですが、申立てをした弁護士さんは選任できないことになっています。極力、不正が起きないような制度運用を行っているということで理解下さい」

 一時間ほどの面接を終えて敦子は家庭裁判所を出た。いつになく疲れていた。一人の人間の権利を守る手続きの厳めしさに圧倒されると同時に、母親の後見人としてこれから重要な役割を担おうとしていることに、身の引き締まるような重圧を感じていた。だから、石原という見ず知らずの弁護士が後見人に選任されたという連絡を受けたときは、すぐには事態が飲み込めなかった。

「え!それってどういうことですか?母のことは私が一番理解しています。一面識もない弁護士さんに母のいったい何が分かるというのですか?今まで面倒をみてきた娘の私がどうして選任されなかったのでしょう?」

 電話で畳みかける敦子に、梶浦は申し訳なさそうに言った。

「お母さまの財産が思ったより多いので、将来、相続の関係で妹さんとのトラブルが発生するのを恐れて、専門職が選ばれたのだと思います」

「先生は私が後見人になるとおっしゃったし、後見人の候補者の欄にも私を書いてくれたではありませんか」

「いえ、必ず敦子さんが後見人に選任されるとは申し上げてはいません。諸般の事情を勘案して、選任するのは裁判所の権限です。不服は言えないのですよ、残念ですが…」

「それじゃ石原という弁護士はどうやって決まったのですか?何か理由があるのですか?」

「裁判所が弁護士会に推薦を依頼して、登録弁護士の中から利害関係のない弁護士が選ばれる仕組みになっています」

「後見人は本人を支援する役割なのでしょう?母のことを全く知らない人が選ばれるのは納得できません」

 敦子の胸で心臓が激しく脈打っていた。

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