ふじ枝の大正琴(28)最終回

令和01年05月09日

 結局ふじ枝の家は一日では片付かないで、さらに二日を費やして何とか片付いた。ゴミ屋敷とは言っても、そもそもふじ枝は、外からゴミを集めて来るタイプではなく、買ったものを忘れて同じものを何度も買って来たり、安売りと見るや必要性を考えないで大量に買い込んだり、ゴミの収集日が分からなくて家の中が片付かないタイプであったため、台所の腐敗ゴミ以外は家屋全体が不潔になっている訳ではなかった。そういう意味で、作業は想像したほど困難ではなかったとはいえ、衣類、日用雑貨、新聞、広告、ダイレクトメール、菓子、調味料、洗剤等々、家の収納能力を超えた雑多な品物が、床も畳も見えないくらい散乱し、その量はゴミ袋にして百を優に超えた。ほかに刺身醤油の小さな瓶は流しの下から百数十本見つかった。こう散らかっては、何か目当てのものを探そうとしても、さらに散らかるばかりで見つからない。止むを得ず買って来ると、もっと物が増える。単身の高齢者がこの悪循環に陥ってしまうと、容易に抜けられないまま居住空間はどんどん狭くなる。

 ふじ枝が台所に居れば、

「ふじ枝さん、だんなさんの位牌のある仏間は特別きれいにしますね?」

 と稲本は了解を取った。

 ふじ枝が仏間に来れば、

「お客さんを迎える部屋は大切だから、要らないものは処分しますね?」

 居間の片付けについて確認した。

 稲本に明るく聞かれると、ふじ枝もつられて、いいですよと明るく返事をしてしまう。次々と運び出されるゴミ袋を玄関先で眺めるふじ枝は少し心配そうだったが、袋は中が見えないように一番上に新聞紙を詰めるよう申し合わせてあった。その代わり価値のありそうな品物は、その都度、

「この服はふじ枝さんに似合いそうだから、残しておきましょうね」

「この塗りのお盆は高そうですから、こちらに置きますね」

 わざわざふじ枝に確かめて、大切な物は決して処分しない姿勢を印象づけた。

 トイレットペーパーやティッシュの山は、バザーに出して、売り上げをふじ枝に戻すつもりで計画したが、新品を運び出すことにふじ枝が難色を示したので、最も邪魔にならない二階の一室に積み上げた…と、

「稲本さん、ちょっとこれを見て下さい!」

 外で怒気を含んだ大声がした。何事かと思って稲本が玄関を出ると、鎌を手にしたサポーターが指差した庭の隅に、ペットボトルや、たばこの吸い殻や、コーヒーやビールの空き缶が散乱している。

「草を刈り取ったら出てきました。あそこから捨てたのですよ」

 見上げた先には隣接するマンションのベランダがせり出している。

「一人暮らしの高齢者だからってバカにして、これは絶対許せませんよ、抗議しますか?」

 サポーターの二人は憤りを隠せない。

「本当ですね、これはひどい!ゴミ屋敷にはゴミが集まると言いますが、明らかに隣の住人の仕業じゃないですか。抗議なんて生ぬるい方法じゃなくて、警察に通報してもいい話ですよ」

 稲本は二人以上に腹を立てて見せたあとで、

「しかし、抗議してふじ枝さんが恨みを買うようなことはないでしょうか…」

 と心配そうに二人を見た。

「…」

 二人は顔を見合わせて、

「恨みですか…。最近は逆恨みというのがありますからねえ」

「なるほど。恨まれて、ふじ枝さんが、ご近所からあからさまないじめを受けては気の毒です。ま、我々がきれいに草を刈れば、もう捨てたりはできないでしょう」

 サポーターは、稲本が望む答えを出した。

 と、そのとき、玄関から運び出そうとしたゴミ袋の、古新聞の目隠しがずれて、中に詰め込んだ古着がふじ枝の目に留まった。

「あ、ちょっとそれは…」

 ふじ枝が声をかけようとすると、それよりも早く、

「ふじ枝さん、もう二時間になりますから、これを配って皆さんに休憩してもらったらどうですか?」

 鈴村が用意した人数分の缶コーヒーをお盆に乗せて運んで来た。鈴村は作業をしながらも、ふじ枝に貼りついて、不測の事態に対処する役割になっている。

「お!コーヒーですね、有り難い。一緒に配りましょう、ふじ枝さん、みんな喜びますよ」

 稲本がゴミ袋に注がれていたふじ枝の視線を遮った。

 ふじ枝の支援チームは、地域ケア会議での情報共有や様々な場面を想定した対策協議の甲斐あって、こういった連携プレイが自然にできるようになっている。

 そのとき、

「稲本さん!稲本さん!」

 今度は山内の大声が二階から聞こえてきた。

 またしてもトラブルかと稲本が声の方向を見ると、

「ありました!ありましたよ!押し入れの天袋にしまってありました」

 階段を下りて来た山内は、稲本とふじ枝の前で、黒光りする大正琴の箱を高々と掲げて見せた。

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終(最終回)