防犯のシナリオ(01)

令和01年05月13日

 古沢卓蔵の声は、守秘義務の議論をするには似つかわしくないほど大きかった。

「私はこの会議の委員長としてではなく、厚生労働大臣から委嘱されている民生委員という立場で申し上げています。支援が必要な住民の生活について善意の関係者が検討をするのに、どうして対象者の実名も明かさずに、こそこそと秘密めいた会議を行わなくてはならないのでしょうか。どこそこの誰々が、こういう事情で生活の不安を抱えていると、参加者が共通認識をしてこそ、本当の検討が可能になるのではありませんか。少し前まではそうやって会議が行われ、何の問題もなかったはずです。もちろん個人情報保護の重要性は承知していますが、ここにお集まりの皆さんは守秘義務というものをわきまえていらっしゃるはずです。初回の会議の冒頭では、秘密に関する誓約書も提出しました。ここで話し合われた住民に関する情報は外には漏れません。AだのBだのと、氏名はおろか、住所やかかりつけの医療機関の名前までアルファベットで表記されたのでは、どうしても切実さやリアリティが感じられません。改めて守秘義務の重要性について認識を新たにしたうえで、次回からは実名で検討することを提案したいのですが、いかがですか?皆さん」

 古沢がかねてそういう意見の持ち主であることは理解していたが、事務局に事前の相談もなしに、いきなりケア会議の最後で発言されてはたまらない。

「あの、事務局を担当する地域包括支援センターとしましては、個人情報の取り扱いに関する国の文書なども整えた上で、この件は改めて議題にしたいと…」

 進行役の河瀬俊明が言い終わらぬうちに、医師として参加している診療所の高橋賢作が賛意を表明した。

「私も副委員長としてではなく、一委員として古沢さんに賛同します。医療関係者の世界では、メンバーが秘密を守ることを前提に、患者の名前も病名も症状も、もちろん検査データもオープンにして治療方針を検討します。どうして福祉の会議は全てを匿名にした上に、会議の資料には秘密のゴム印を押し、さらにご丁寧に終了後は資料を回収してしまうのか、理解に苦しんでいました。資料がなくては、家で個人的にケースを振り返ることもできません。こう慎重にされると、何だか信用されていないみたいで、正直申し上げて愉快ではありません」

 高橋の声も古沢に負けず劣らず威圧感がある。

 会議というものは、メンバーが自由に話し合うことが目的であるにもかかわらず、社会的地位が高かったり、声が大きかったり、聞く耳を持たない頑固者の意見が通ってしまうことが多い。しかし、メンバーを選ぶ段階で、協調性の高い人ばかりを集めると、今度はお互いの顔色を窺うばかりで結論が出ず、事務局が困ってしまうことになる。今回は声の大きな委員長と副委員長の足並みが冒頭で揃ったことで、性急に結論に達することを警戒した河瀬は、

「お二人のご意見はよく分かります。分かりますが、実はこんな例もあるのです」

 管内の桜小学校で起きた最近の出来事を紹介した。

「夫からのDVに苦しんでいた妻がいました。暴力が一人娘に向かうのを恐れて、密かにこの校区のクリニックに職を求めて転居しました。転居先を知られないよう市役所に手続きをし、娘の前の学校にも配慮を依頼して、無事に看護師として二年が経とうとする頃、ゲリラ豪雨がありました。登校させる、させないで大混乱が生じたことを反省して、教員たちが連絡網の徹底について話し合いました。個人情報保護法は大切だが、連絡網は破れていては意味がない。しかし保護者の同意を取ろうとすると反対する変わり者が必ずいる。そこで情報の取り扱いに対する注意書きを添えて、クラス単位に生徒の氏名と電話番号だけ記載した緊急時連絡チャートを作成して配布したらどうかという教頭の迫力に、他の教員たちは追従しました。保護者の同意を得ないで作成されたチャートは、各家庭でよく目立つ壁に貼られました。それをたまたま配置薬の点検に訪問した家で夫が見たのですね。鮎美という珍しい名前から住所を聞き出すのは、営業マンにとっては難しいことではないのでしょう。時ならぬ夜のノックに妻が玄関のドアを開けると、随分探したぞ…と、夫が笑って立っていたと言うのです」

 万が一にでも個人情報が漏れると、取り返しがつきません…と慎重論を唱える河瀬に、古沢が反論した。

「それとこれとは違うでしょう。ケア会議の検討資料を壁に貼る人はいませんよ。繰り返しになりますが、要するに我々が守秘義務を守ればいいことではありませんか」

 どうやら河瀬は火に油を注いでしまったようだ。議論は対立すると立場のある者こそ引き下がれない。

 古沢に負けじと高橋があとに続いた。

「連絡網とケア会議を一緒に論じることはできません。個人情報保護法では、第三者に情報を提供する場合、本人の同意を得るのが原則になっていますが、例外規定があります。生命、身体、財産の保護のために必要で、本人の同意を得ることが困難であるときは、同意なしで情報を提供することが許されているのです。そもそもケア会議は、一人暮らしの認知症高齢者の支援を検討するのが目的でしょう。火の心配、栄養の不安、事故の心配、運転の危険性、災害時の対応、悪徳セールスの被害の防止、症状が進めば徘徊の心配…と、どれを取り上げても生命、身体、財産の保護に関することばかりではありませんか。その上、本人は認知症の自覚がないのですから、同意を取るのは困難ですし、取ったとしても、そのことをすぐ忘れてしまいます。AだのBだのと臨場感のない資料で検討することに、どんな意味があるのでしょうか。私は主催者の責任回避と個人情報保護に関するパフォーマンス以外に目的が見出せません。そもそも今の世の中は、万が一を恐れるあまり、九千九百九十九を犠牲にしているように思えます。検討される住民の情報は、既に地域で問題視されてここまで上がって来るのです。例えば地域に見守りをお願いするにしても、秘密にするわけにはいかないではありませんか」

 いかがですか?と委員長、副委員長が会議室を見まわした。

 他の委員たちは目を伏せて頷いた。

 こうなると、河瀬俊明も覚悟を決めざるを得なかった。古沢と高橋の意見は確かに筋が通っている。主催者こそ神経質になりすぎて会議の本質を見失っていたのかも知れない。事実をあからさまに検討して、あとは守秘義務に対する委員の見識を信頼すればいいのだ。

「それでは次回からは実名で資料を作成することと致しますので、くれぐれも守秘義務につきまして留意頂きますようお願いいたします」

 そして、これまで以上に真摯な検討を期待しますと結んで、年度当初のケア会議は終了した。

 予定の時間を四十分も過ぎていた。

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