面会制限

令和04年05月03日

 日曜日だというのに、早い時間に浮かぬ顔で起きて来た謙一に、

「またお母さんの夢?」

 陽子が台所から声をかけた。

「ああ、コロナのせいで長いこと面会ができないからだよ。最近、悪い夢ばかり見る」

 看取りの段階を迎えた房子は、居室のベッドの上で目を閉じて、大きな呼吸を規則正しく繰り返している。謙一は一刻も早く駆けつけようとアクセルを踏むのだが、こんなときに限っていつもの道が工事で通行止めだったり、思いがけない場所でスピード取締りに捕まったりで、なかなかグループホームにたどり着けない。近道をしようと入った狭い道で、のろのろと先行する軽トラックに遭遇し、

「何もたもたしてるんだ、ばかやろう!」

 と叫んで目が覚めた謙一の夢は、母親に会いたくても会えない焦りと憤りを象徴していた。

「九十二歳といえば、いつ不測の事態が起きてもおかしくない年齢よ。尾藤さんに電話して、一度きちんと面会をお願いしてみたらどう?信頼の置ける管理者だもの、何とかしてくれるんじゃないかしら」

「いや、明日、緊急事態宣言が解除されたら母に面会できますか?と尋ねたメールに、グループホーム連絡協議会の決定で年内は面会をご遠慮していただくことになっていますというひどく事務的な返答をもらってるんだ。この上、尾藤さんに個別のお願いをすれば、自分たちだけ特別扱いを要求することになって、却って尾藤さんを困らせることになると思う。どうにもならないよ」

「年内って…まだ三か月もあるじゃない。世の中は旅行もコンサートも飲酒も解禁になるっていうのに、明日の命が分からない本人に家族を会わせないだなんて、そんな権限が協議会にあるの?」

「強制力はないと思うけど、仲間内の申し合わせだからね、協議会に加入しているグループホームは拘束されるだろう」

「だけど政府が宣言を解いたのよ」

「デルタ株を恐れているらしい。ま、入居者はみんなマスクや手洗いの必要性を自覚できない認知症の高齢者ばかりだから、何としても感染から守らなければという責任感の表れだとは思うんだけどね」

「それは分かるし、有難いことだけど…」

 陽子が朝食を並べながら、

「私ね、グループホームは、ただ利用者の体を清潔にして食事や排せつのお世話をすればいいってものじゃないと思うの。残り少ない家族との時間を大切にすることだって重要なケアじゃないかしら。緊急事態宣言が解除されたら、予防に細心の注意を払いながら面会させようと考えるべきじゃない」

「おれもそう思うからさ、協議会に手紙を書いて再考を促そうと思ってるんだ」

「ちょっと待って、それは穏やかじゃないわよ」

 陽子は強く反対した。上部組織に直訴するような形を取れば、尾藤の立場を悪くし、引いては謙一と尾藤の関係にも影響するのではないか。

「そうかなあ…尾藤さんは協議会の決定を理由に年内は面会禁止だと言ってるんだよ。おおもとの協議会が考え直してくれれば、尾藤さんだって断る理由がなくなるだろう」

「いや、組織ってそんな単純じゃないと思う」

 陽子は引き下がらない。

「代表が話し合って決めたことなのよ。特定の家族から再考を願う手紙が届いたからといって、おいそれと覆ると思う?皆様の大切なご家族の命をお預かりする立場としては、デルタ株の脅威が去るまでは慎重にも慎重を期さねばなりません。それが我々に課せられた責務であることをどうかご理解下さって、あと三か月、面会はご遠慮いただきたいと思いますとでも言われたら、あなたそれでも押し通せる?」

 確かに組織と言うものは、そういうものだ。そんな手紙を出せば、面会を禁止する理由について、家族を納得させられなかった尾藤が非難される立場になり兼ねない。

「本当はね、あなたは尾藤さんの事務的な返事に腹を立てているんじゃない?例えばこんな返信が届いていたらどう?毎週欠かさず会いに来て下さっていた謙一さんに、感染予防が目的とはいえ、緊急事態宣言が解除されてもなお、年内は面会をご遠慮頂くのは私どもとしても心苦しい限りではありますが、何しろお預かりしているのは感染予防の観念の持てない認知症のお年寄りばかりです。しかもウィルスは感染力の強いデルタ株に置き換わりつつあると言われています。うっかり一人が感染すれば、またたくまにクラスターになって、大切なお母さまの命だって保障できません。現場の責任者たちが協議して総合的に判断した苦渋の決断です。あと三か月、どうか我慢をして頂いて、お正月には晴れ晴れと面会できる状況になっていることを願っています…て。ね?随分違うんじゃないの?」

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