豪雨(12)(最終回)

令和05年02月27日

 立花と言えば、例の記事を書いた記者ではないか。

 エレベータを降りて正面受付に近寄る高岡を認めて、ジーンズにグレーのブレザー姿の背の高い男性が軽く会釈した。

「あの…」

「N新聞の立花です」

 その節はお世話になりました…と言いながら立花は名刺を差し出した。一階ロビーの片隅にしつらえられた待合コーナーの応接セットで向かい合って、高岡が名刺を渡すと、

「私の記事で大変ご迷惑をおかけしました。訪問は中止になったんすってね?」

 立花はそう言って頭を下げた。

「え?ご存じなのですか?」

「デスクの校閲を受けて記事にしましたが、活字になった後で同僚から指摘されたのです。お前、心を病んだ三人の高齢者なんて書いて大丈夫なのか?田舎じゃヤバいことになるぞって…そいつ被災地に隣接する町の出身なんです」

「そうでしたか…確かに町は大変な騒ぎになっていました」

「…で心配になって町に電話して中止を知りました。すると、ケアを受けられなかった三人のことが急に気がかりになりました。記事のせいだとすれば私に責任がありますし、今後同様の失敗をしないためにも、私が思い及ばなかった田舎の閉鎖性というものを知っておきたいと思いましてね。私、思い切って取材にでかけました。そして思いがけない事実を知りました。それをどうしても高岡さんにお伝えしたいと思いまして、こうして取材の帰りにアポもなくお訪ねしたのです」

「え?思いがけない事実と言いますと?」

「心のケアが必要な三人の高齢者というのは、あれは町の仕組んだサクラ、つまり芝居だったのですよ」

「芝居?え?どういうことですか?」

 高岡は思わず体を乗り出した。

「たまたま福祉課長も係長も不在で、住民課長に話を聴くと、あの日、新聞を見て役場に抗議にやって来た三人の高齢者の名前が割れました。それぞれ町では社会的立場のある人たちで、今度の災害では心を病むどころか、何の被害にも遭っていませんでした。三人のうちの一人で、山野辺欣二さんという元警察官を取材すると、山野辺さんはひどく腹を立てていて、中止になったんだからもう秘密でもないだろうって、すっかり話してくれた内容はですね…」

 立花が教えてくれた思いがけない事実を聞いて、高岡はじわじわと空疎な笑いがこみ上げるのを抑えることができなかった。誰一人として被災者のことを考えていない。福祉課長は自分を偽って町長に忖度し、福祉係長は課長の評価を得るために適当に三人の高齢者を見繕った。そんなくだらない芝居のために早朝から準備して被災地に出かけた高岡は、訪問中止の判断を巡って赤塚と対立した関係を修復できないでいる。そもそも心のケアは議会対策のために赤塚が思いついた。第一陣の派遣も知事の関心を引く目的で強引に決行された。県も町も議会も、どの段階の決定を切り取ってみても肝心の被災者が不在だった。

「立花さん…」

 突然不安に駆られて高岡が聞いた。

「ひょっとしてこのことを記事にするつもりですか?」

 これが記事になったら一大スキャンダルになる。すると今度は立花が笑う番だった。

「まさか、さすがにこんな幼稚でバカバカしいことは書けませんよ。週刊誌じゃありませんからね」

 立花は立ち上がり、

「無配慮な記事がとんでもない結果を招いてしまったと思って責任を感じていましたが、真実を知って気が楽になりました。被災者のことを真剣に考えて行動した人は誰もいないのですからね」

 ではこれで…と去って行く後ろ姿を見送りながら、高岡は不意に自分の心もふわりと軽くなるのを感じた。

「三人の県の職員が朝早くからのこのこ出かけて行って、この上ない屈辱を受けたんだよ、分かるかね!」

「しかも君は、こんな大切なことを相談もせずに独断で中止して、すごすごと帰って来たんだ。これじゃ子どもの使いじゃないかね!」

 思い出しては吐き気を催すほど不愉快な気分にさせられていた赤塚の言葉が、高岡の中で幼稚でバカバカしいことに変化した。病院の医療相談室から本庁に異動が決まった高岡を、人は栄転と言って祝福した。行政の中枢だから大きな仕事ができるねと言われ、自分でもそのつもりで張り切ってもいたが、憑き物が落ちるようにそんな気負いが消えた。判断の的確さと高い現実処理能力とで巨大な存在として屹立していた赤塚課長補佐が価値を失った。

「赤塚さん、お話があります」

 課に戻った高岡は上司のことを役職で呼ばないで苗字で呼んだ。その明るい声は周囲を驚かせた。

「今年度いっぱいで私を病院勤務に戻してください」

 赤塚だけでなく、長澤課長も思わず顔を上げて何か言いたげだったが、二人とも無言で顔を伏せた。

 十二階の窓に一面の青空が広がっていた。


 あれから五年…。県から豪雨災害の記録をまとめた冊子が関係機関に配布された。その中には被災地に心のケアチームが派遣されたという記載はなく、県の保健医療課と精神保健福祉センターの職員三名が、九月二十一日に被災者の心のケアの必要性について役場に聴き取り調査に訪れたという記事がわずか一行で報告されていた。

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