:::::最大多数派?の女の子たち:::::

 体力もないし資格も持ってないし、学も才もないし、名家の出でもないしもちろん美人でもナイスバディでもない。そのうえやたらと人数の多い団塊ジュニア世代にもばっちり引っかかって就職氷河期。「戦時中に生まれていたら、真っ先に爆弾にあたって死んでるね。」というのが口ぐせの平凡な人生です。そんな自分が、もし19世紀の英国に生きる女子であったなら−−たぶん、メイドか工場の女工さんになっていたことでしょう。
 1871年の国勢調査では、英国内には127万人の家事使用人がいたという記録があります。ただ、メイドの居場所にはかなり偏りがあって、たとえば1891年、保養地で有名な社交都市バースでは、働く女性の5人にひとり、20%が家事使用人だったそうです。まさに石を投げればメイドに当たるという感じ。そのいっぽうで、工場が多い工業都市では使用人率は0.4%まで下がります。
 つまり「工場に職があれば、メイドにならなくていい」−−実は、メイド職というのは、19世紀末の時点で、需要も供給も非常に多かった割に、遊びたいさかりの女の子にとってはあんまり人気の職業ではなかったようなのです。鉱山ではたらく女性などの過酷な職場の実態が新聞ざたになり、長時間労働にどんどん規制がかかっていったのにたいし、家事労働者に対する対処は遅れていました。当時の証言などをひもとくと、なにより自由時間が少なく、住み込みのため逃げ場がなく、雇い主や同僚からあれこれ干渉される、というのが最大のイヤ・ポイントであったようです。家族と暮らしていた時分には、すし詰めの雑魚寝状態が当然であったはずの娘さんが、住み込みの仕事について働き始めたら「自分の時間がないの!」と嘆く。なんて逆説的で現代的な悩みでしょう。あまり昔にさかのぼってしまうと、生の声が記録に残りにくいので一概に比較はできませんが、19世紀末というのは、女の子たちがフツーに自意識を持ち始めた時期なんじゃないかな、なんて思ってしまいます。
「あのキャップがものすごくイヤだった。だから、(キッチンメイドから)料理人になってからは絶対にかぶらなかった。このキャップをめぐって雇い主の婦人と大ゲンカをしたが、それだけは曲げなかった。」
(Margaret Powell『Below Stairs』)
 当然のように制服を崩してしまう自尊心の持ち主です。なんていうワガママ、そしてアバウト。……反対に、こんなことを言っている人もいます。
 
「わたしは常に雇い主を尊敬していました。マーガレット・パウエルがそう思っていたように、雇い主を軽蔑していたら、彼らのために働くことの品位を下げていたでしょう。昔かたぎだといわれても−−わたしたちはみんな自分の立場をわきまえていたし、結果として世界は幸せな場所でした。」
(Frank Dawes『Not in front of the Servants』)

 『Below Stairs』は長く家事使用人を務めた女性の半生記、『Not in front〜』は、20世紀初頭くらいまで使用人をしていた男女から届いた大量の書簡で構成された本です。これらの本にかぎらず、いろいろな資料を見ていると、親から「上の生活を体験したり、お作法を習ってくる」ことを期待され、本人もそう望んでメイドになる子もいたし、「メイドなんか絶対にイヤだけど、しょうがないからやる」という子もたくさんいたということがわかります(特に、のちに自分で本を書いてしまうようなタイプには仕事嫌いが多いようです…笑)。もし彼女たちが生きていたころに、ひとりひとりに話を聞ければ、きっといろんな考えを述べてくれたのではないでしょうか。メイドたちは120万人の顔のない存在ではなく、200年前に生きていた、いろいろな個性を持つ、フツーに生きているフツーの女の子たちだったんだ、というところが面白いのですね。まあ、個人の家の中で働く仕事ですから、全国で統一された決まりなんてなかったのも道理、なのかもしれません。

2003.11.30
参考資料:Pamela Horn『Rise and Fall of the Victorian Servant』


次のテキストへ
ひとつもどる
テキストの目次へ



top / profile / work / mail / link