村上大祭 Murakami Festival 村上市
…………………………………………………………………………………………… ☆ 村上大祭 ☆ …………………………………………………………………………………………… 村上大祭は蒲原まつり、柏崎えんま市と並ぶ「新潟三大高市(たかまち)」の一つ。毎年7月6・7日に行われる、羽黒神社の祭礼です。 江戸時代初期の1633年(寛永10)に始まったとされ、羽黒神社の遷宮をお祝いして、大町の人たちが大八車に太鼓を積んで町じゅうを練り回したのが村上大祭の始まりだ。 約350年の歴史を誇り、城下町ならではの豪壮な伝統行事。 3基の神輿に御神霊を奉遷し、太鼓を先導とする長い行列が各町内を巡行する「お旅神事」である。 祭りの最大の見所は、村上特産の堆朱・堆黒の粋を集め、金銀の飾りをつけた絢爛豪華な「オシャギリ」と呼ばれる各町から19台の屋台山車が引き出され、町内を巡行する。 6日午後には宵祭りが開かれ、各町でおしゃぎりの出動準備が行われ、7日の本祭では、午前6時半におしゃぎりが西奈弥羽黒神社に集結する。 午前8時ごろから、藩主本庄繁長の凱旋を模した荒馬(木馬)14騎や稚児行列と共に町内をねり歩く。荒馬14騎は戦国時村上城主本庄繁長が庄内での戦いで勝利をおさめ凱旋した時の様子を模している。特に、夕方18時から、おしゃぎりの提灯に灯が灯り幻想的な風景を作り出すさまは圧巻。 また祭り期間中は村上市役所を中心に約300もの露店が建ち並ぶ。 2018年(平成30)1月19日、国の重要文化財に指定された。 …………………………………………………………………………………………… ☆ 西奈彌羽黒神社 ☆ …………………………………………………………………………………………… 【本庄繁長】 西奈彌神社の創建は朱鳥元年(686)といわれている。 現在の羽黒神社は、正しくは西奈彌羽黒神社という。江戸時代には西奈彌羽黒三社大権現と称していた。 天正16年(1586)に当地の本庄繁長が、出羽庄内の最上氏や東膳寺を討つ時、戦勝をその地の羽黒山に祈願し、めでたく庄内地方を平定し手中に収めたので、戦勝した羽黒山大権現の御利益と、出羽三山の神々を村上に勧請し、西奈彌神社と合祀し、西奈彌羽黒三社大権現と称して村上郷の総鎮守とされ、国の安泰と繁栄、邪気を払い、疫病や自然災害を鎮める藩の祈願所となった。 村上大祭の先導を務める「荒馬14騎」はその凱旋した姿を模したものといわれている。その後、羽黒神社は臥牛山の麓に社殿が移された。 【堀直寄】 元和4年(1618)村上藩堀丹後守直竒が村上城主となって城下町の整備と城郭の修築を大規模に行うのに際し、総鎮守を城から見下ろすのは恐れ多いとして、社殿を現在地に造営したのが今の羽黒神社の場所だ。寛永10年(1633)6月7日に新社殿への遷宮が行われたが、そのときに村上の一番古い町の「大町」の人たちが、お城から大八車を借り、それに太鼓をつけて景気よく打ち鳴らし、町中を練り回ったのが羽黒神社の祭礼「村上大祭」のはじまりといわれている。なお、羽黒神社の祭神は、奈津比売神・倉稲魂神・月読神の三神で、御神輿も三基ある。 祭日は、江戸時代には旧暦の6月6・7日に行われていたが、明治以降は新暦の7月6日・7日となった。新潟の三大祭りに数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。 拝殿には歴代藩主寄進の大絵馬や江戸時代に地元の人たちが詠んだ歌額があり、当時の様子を物語る。
…………………………………………………………………………………………… ☆ オシャギリ ☆ …………………………………………………………………………………………… 村上大祭に曳きだされる山車のことを村上では「おしゃぎり」と呼びます。 呼び名の由来は、歌舞伎や狂言で、鉦や太鼓で演奏される音曲やお囃子のことを「しゃぎり」というところから来ているものととも言われています。 羽黒神社の遷宮をお祝いして、大町の人たちが大八車に太鼓を積んで町じゅうを練り回したのが、村上大祭の始まりでしたが、享保年間に、ほぼ現在のような堆朱堆黒などの塗りを施した豪華な屋台となっていきました。 おしゃぎり屋台は釘を一本も使わず、凹凸でかますようにして組み立てます。 長井町のおしゃぎり屋台はすべての部品を始めから組み立てるので、半日ほどかかります。
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西奈彌羽黒神社 おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)