六角巻凧 Hexagon winding kite 三条市
三条では凧を「いか」と呼び凧合戦のことを「いかがっせん」と呼び習わしている。凧合戦の起こりは、江戸時代、町人の子どもたちが村上藩の陣屋(宿泊所)の子どもたちに、挑戦して凧を揚げたのがはじまりといわれる。 凧(イカ)合戦は町内同士の対抗戦というかたちをとりながら発展し、今でも6月の第1土日に行われる「三条凧合戦」では約20もの凧組が優勝を争う。空中で糸をからめ、対戦相手の糸を切ったり、凧を落としたりして獲得した得点により成績が決まる。 合戦で使われる凧は六角巻凧と呼ばれ、くるくると巻いて小さくできるのが特徴。六角巻凧は少ない風で高く揚がり、操作性もよいため激しい空中戦も展開が可能、江戸時代の三条凧合戦で考案されたといわれている。 完成までに54工程の手間を要し、横骨2本と中骨1本のタケ3本と和紙でできており、中骨を抜いて芯にしてくるくると巻くことができることから「六角巻凧」と呼ばれている。手漉き和紙に、勇壮な戦国武将が描かれる。 海外にも「SANJO ROKKAKU」の名で知られ、三条市は世界の六角凧の発祥の地として紹介されている。 🤩2015年に新潟県指定無形民俗文化財として、「越後の凧合戦習俗」の三条凧合戦が認定された。 🤩2022年7月23日、日本とアゼルバイジャンの外交関係樹立30周年事業として2日間、アゼルバイジャンで伝統行事「三条凧(いか)合戦」が披露される いか合戦の起源
関西の方言で「いか」「いかのぼり(紙鳶)」と呼ばれて、庶民に親しまれていたが.江戸時代に入り、「いかのぼり」を売る店が江戸にでき、日常的に遊ぶ娯楽になった。江戸ではヒラヒラとついた足が海のいかのように見えたことから「いかのぼり」と呼ばれた。 江戸では、この「いかのぼり」がどんどん大型化し、この大凧を揚げる遊びが、日本各地に伝播し流行していった。 「いかのぼり」を揚げている人同士でケンカになったり、通行の邪魔になったり、大名行列の中に落ちたりといった問題も起きていた。また「いか」同士で競技が行われるようになり、相手の「いか」綱を切るため刃物を取り付けたりエスカレートしていった。 1650年代に幕府は「いかのぼりあげ禁止令」の高札をたて、「いかのぼり」を禁止した。ところが庶民は、禁止を回避するため、「いか」がだめなら「たこ」という呼び方に変えて、凧あげの風習は廃れなかった。幕府の方も徹底的に禁止はせず、注意程度で黙認していたという。 🔶須藤凧屋
〔所在地〕新潟県三条市東裏館2丁目2-16 〔連絡先〕 ☎0256-33-0616 〔アクセス〕
・2021年6月28日、三条凧合戦の伝統を子どもたちに引き継いでもらおうと、三条凧協会(須藤謙一会長)は三条市内の小中学校など29校に六角巻凧と凧糸、凧糸を入れるかごのセットをプレゼントした。 🔶燕三条地場産業振興センター 〔所在地〕 新潟県三条市須頃1丁目17 〔問い合わせ〕 ☎0256-32-2311 〔特徴〕
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