足軽長屋(国重要文化財) 新発田市




@じゃらん
市内諏訪町3丁目、新発田駅から徒歩7分。新発田駅の西約500m、新発田川の右岸沿いにある。
建造年代は不明だが、棟札に「天保十三年」(1842)の文字が残されており、以前あった長屋を立て直したものであることがわかった。
長屋は旧会津街道口、古くは足軽町とよばれた上鉄砲町の裏につくられ、幕末まで4棟あった清水谷長屋のうちの1棟で、北長屋と呼ばれていた。当時の城下絵図には、「北長屋三軒割八住居」としるされている。
桁行24間、梁間3間半、屋根寄棟造り、カヤ葺き、この内部を8戸に区切り、いわゆる八軒長屋だ。一世帯当たりの広さは40平方メートルほど。どの家も、間取りは玄関から続く3畳の板の間と、6畳の間が2間、床の間等はなく、軒の出も低くて質素なつくりである。住人は、ほとんど姓を持った者はなく、侍中足軽組下の軽輩者の住居であった。
部屋の中は昼でも暗い。表が下屋敷(清水谷御殿)に面していたため、窓を小さくしたのではという説もある。
木割も細く、質素な意匠・手法に当時の下級武士の生活をしのぶことができる。全国でもこのような下級武士の生活をしのばせる、遺構は類例を見ない。
明治以降は新発田藩から民間に所有が移り、各居住者がそのままそれぞれの所有になったらしい。
明治24年(1891)に中蒲原郡横越村(現新潟市)の伊藤家が別邸として旧下屋敷を買収する際に、隣接する長屋も部分的に買い取った。戦後、財団法人北方文化博物館が所有、管理運営している。
昭和44年(1969)12月に、国の文化財指定を受けたが、当時も、数世帯が居住していた。
現在の建物は昭和46年(1971)に解体修理に着手し、翌昭和47年(1972)6月に完成したものである。(案内図)









足軽長屋   地図 ストリートビュー
















谷平
大小さまざまな個室席 豊富なドリンクメニュー
[住所]新潟県新発田市諏訪町1丁目3-25-2
posted with タベレバ