宝光寺 Hokoji Temple 新発田市



溝口秀勝は若狭高浜から加賀大聖寺に移ると、若狭の諦應寺雪堂元初の弟子雪崗全林を迎え、大麟寺を開基した。雪堂元初の開山とされる。天正十一年(1583)から文禄四年(1595)の間と考えられる。
その後慶長三年(1598)、溝口秀勝の新発田への転封とともに、当初、五十公野に移されたが、後に現在地に移転した。溝口秀勝の没後寺号を淨見寺と改め、更に宝永六年(1709)五代将軍綱吉が他界し常憲院と称したので、これを憚り、秀勝が淨見寺殿とよばれたのを寳光寺殿とし、寺号も寳光寺と改めた。
以来、藩主溝口家代々の菩提寺として寺域はかつて8,146坪もあり、領内曹洞宗の触頭ふれがしらを勤めた。現在十二の末寺と一つの末庵がある。
宝暦三年(1753)と文政十一年(1828)に火災に遇い、嘉永二年(1849)に再建落成した。
山門は新発田市の有形文化財に指定されており、他にも市の有形文化財に指定された絵画、仏像等を有する。 境内には推定樹齢350年の徳川家光から寄進されたとされるしだれ桜※ストリートビューがある
新発田重家の墓がある福勝寺が道路1本をはさんだ向かいにある。






宝光寺   地図 ストリートビュー




















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