🔗鹿島鳴秋 柏崎の海岸線の真中にあり、シーユース雷音や夕陽のドームをはじめ、たくさんの施設があり、いつも人が集い、風の陣など多くのイベントが開催されています。夏は海水浴やマリンスポーツなど、海の柏崎を思う存分楽しめる公園です。
≪鹿島鳴秋≫鹿島佐太郎(本名) 〔生〕1891年(明治24)~〔没〕1954年(昭和29) 東京都江東区白河の出身 俳人内藤鳴雪の門人で鳴秋と号す。小学校卒業後商家に奉公。貿易会社に勤め、20歳の時童話に応募し入選。清水かつららとともに雑誌(少年号・少女号)を刊行し、「お山のお猿」「浜千鳥」などを発表。 「浜千鳥」は1919年(大正8)鳴秋29歳の作品。彼の経営していた小学新報社の『少女号』で発表した。曲は1920年(大正9)1月に弘田竜太郎がつけ、全国的に愛唱されるようになった。 鳴秋が早稲田大学の学生時代に東京俳句会を通じて知り合った桑山太市朗を訪ね、柏崎海岸から番神岬を散歩したとき想を得て、亡き愛娘への想いを浜千鳥に託して作ったとされている。 鳴秋の詩風は彼自身の家庭環境からくる親子関係の悲しさ、異常性にあるが、「浜千鳥」にも悲しい感傷が美しい旋律から伝わってくる。 なお「青い月夜の浜辺には」の歌碑は1961年(昭和36)建立、鳴秋未亡人を市内海岸公園に招き除幕式を挙行。現在はみなとまち海浜公園に移設されている。 「浜千鳥(はまちどり)」
鹿島鳴秋作詞・弘田龍太郎作曲 青い月夜の 浜辺には 親を探して 鳴く鳥が 波の国から 生まれでる 濡(ぬ)れたつばさの 銀の色 夜鳴く鳥の 悲しさは 親を尋ねて 海こえて 月夜の国へ 消えてゆく 銀のつばさの 浜千鳥 ![]() |