都野神社 Tsuno Shrine 長岡市
信濃川沿いの与板は古くから舟運の要地で、直江兼続が鉄砲を製作した名残として、特産打ち刃物行が盛んになった。万治2年(1659)の文書に「大津の荘、与板村」とあるように、津の里とも呼ばれた。当時は舟運といっても氾濫の度に河道が変わる信濃川の航行は容易でなく、現在は八幡公園になっている裏山の頂上にあった都野神社の灯明が往来する船の灯台の役目をしたという。 与板の総鎮守とされる都野神社は、延喜式神明帳にその名がみられ8世紀にはすでに与板の鎮守として祀られていたと推測される。社記によると、祭神は天孫降臨の折に道案内を勤めた神々。福岡・宗像大社の3女神・宗像大神を祀る。この事蹟から舟運・街道の中継地の与仮に祀られたと説く。いまでも水陸交通安全の守護神、水の神、農耕、商工業の守護身とする信仰が篤い。 本殿は三間社造り、正面千鳥破風、唐破風総欅造りである。現在の本殿は天保11年(1840)再建、拝殿は嘉永元年(1848)再築されたものである。欄間に躍動する竜の彫刻は、天保11年本殿再建の際、当時の名匠、熊谷の小林源太郎が腕を振るって、3年がかりで完成したものである。源太郎の作品の中でも優れたもので、構図も彫法素朴な中に、奔放にして自由な立体感が見られる。当時の豪商備前屋中川正甫や大阪屋三輪家をはじめ町民の尽力によって作られたものである。 また昭和53年(1978)に南宮大社より金物の神様を勧誘し、毎年11月8日に「ふいご祭」が行われる。 |