五泉城跡 Gosen Castle Ruins 五泉市
甘糟景継は上田坂戸城主長尾政景の家臣登坂加賀守清高の子で、景勝が謙信の養子となり、春日山城に入ったとき、同行している。 その後、天正7年(1577)に謙信の命により名門甘粕家の養子となる。謙信の死後発生した御館の乱では、景勝の下で活躍し、護摩堂城主となる。 天正11年(1583)、新発田重家に対する備えとして護摩堂城から平地の五泉城に入る。 文禄2年(1593)、庄内坂田城代となる。 上杉景勝が会津移封となったとき、甘粕景継も同行した。 五泉城は村上に入った村上勝頼の配下となったが、慶安2年(1649)に取り壊され、その本丸の跡地に、現在の「八幡宮」が建てられた。今では五泉城の痕跡は残っていないが、八幡宮の社務所前に「甘粕備後守城跡」の石碑が建っている。 会津に移った甘粕景継は、会津白石城代となる。その後、上杉氏が米沢に移ったとき同行し慶長16年(1611)、米沢で没した。 五泉八幡宮 ※GOOGLE 画像元慶3年(879)に創祀されたと言われ、その後連綿として続き、主祭神の誉田別命の他に約30柱の神様をお祀りし、市の総鎮守として市民の信仰を得ている。金運アップを願う銭洗い所や、水に浸すと文字が浮かび上がる水みくじ、月替わりの限定御朱印がある。現在の社殿は、江戸時代初め、五泉城が廃城となった跡地に遷座したものである。昭和3年(1928)の大火ですべてを焼失し、その後しばらく仮宮であったが、昭和35年(1960)及び52年(1982)に拝殿と本殿を造営している。 織物の姫神を祀る末社の服部神社では良縁を結ぶ七夕風鈴祭・天の川巡りが行われ、境内飾られた4000個以上の風鈴やイルミネーションが幻想的だ。平成31年(2019)出雲大社から下賜されたニホンイシガメが見られるのも県内ではここだけ。 なお、境内には江戸時代の国文学者として功績を残した五泉生まれの歌人大江広海の歌碑がある。この歌碑は明治時代に建立された。広海は明和6年(1769)五泉に生まれ、後に江戸に出て村田春海に従い、京都に至り公卿貴神の間に交遊するかたわら、家塾を開いて子弟に教授した。江戸時代の国文学者としての功績が残っている。 昭和45年(1970)に市の文化財に指定された。
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