古希感慨(8)

令和03年02月17日(水)

「文明は扇風機までやったなあ…」

 社会人になってからの友人が、ビールを飲みながらしみじみとつぶやいた言葉は忘れることができません。クーラーが登場して、人間の暮らしは、超えてはいけない一線を超えたと言うのです。確かに文明は人間の暮らしを便利にしました。

 井戸から手動のポンプで水を汲み上げる苦労は、上水道が解決しました。都会では蛇口をひねって水を飲む公園のカラスがニュースになりました。

 バキュームカーの登場で、汚物を桶で畑に運んで肥料にする見栄えの良くない労働から解放される一方で、耕作には粒状の化学肥料が用いられるようになりました。今では下水道が完備して、私たちは洗浄と乾燥機能を標準装備した水洗便器に座るだけで用が済んでしてしまいます。自動で蓋が開き、立ち上がると勝手に蓋が閉じて水が流れ、生きものとしての汚い部分からは目を背けていられるようになりました。

 わが家は印刷屋を営んでいたために、よその家に先駆けて電話機がありました。木製の箱形電話機が大国柱に取り付けてあって、近所の人にかかって来た電話を取り次ぎに走ったものですが、今や個人個人が携帯電話を持ち、学習塾の前では小学生が、「終わったから迎えに来て」と親に連絡をしています。

 浴槽が風呂桶と呼ばれていた頃、木の香りのする湯に肩まで浸かる私に、「ぬるうないか?」と声をかけてくれる祖母は、吹きさらしの寒い焚口に、私のためだけにしゃがんでいました。

「ちょうどええ」

 と答える私に、

「ほんでも、ひとくべしとくわい」

 とさらに祖母が言う心温まるやり取りは、もはや遠い過去のものです。ぬるければ、湯船に浸かったままで追い炊きのボタンを押せばいいのです。

 夏は網戸をくぐり抜けて侵入して来る蚊から身を護るために蚊帳を吊りました。いつもの部屋なのに、蚊帳の中は別世界になったようで、雪でこしらえた「かまくら」の中で感じたのと同様の興奮に駆られて、なかなか眠れませんでした。添い寝する母は団扇で風を送ってくれました。

 寝ていても 団扇の動く 親心

 頼りなくも心地よい団扇の風のゆらぎに身を任せているうちに、いつの間にか眠りに落ちましたが、ふとまぶたを開けると、目の前に、うとうとしながら団扇を動かす母の姿がありました。そんなときは、風呂の焚口から「ぬるうないか?」と聞かれたときと同じ種類の一方向の愛情を感じて、無条件の安心に包まれたものでした。団扇は扇風機に変わりましたが、これはまだ部屋の空気を機械で攪拌して風を生む範囲の文明でした。クーラーは違います。部屋の温度そのものを冷やすという装置です。下げた熱は、部屋の外に排出されて外気を温めます。文明が超えてはいけない一線を超えたという友人の言葉は、気温という自然そのものに変更を加えたという意味だったのでしょう。夏に通りを歩いていて、うっかりビルの外の室外機から出る温風を浴びたとき、世の中の建物を冷やすために屋外に排出される熱量は、全体でどれくらいになるのだろうと思うことがあります。それに、おびただしい数の車の排気の熱量が加わります。発電時に使用する火力の熱量も考えあわせれば、自然の大気循環に及ぼす影響の甚大さは門外漢でも想像ができます。コンクリートの街で排出された熱は大量の水分を含んで急速に上昇し、上空で冷えてゲリラ豪雨になるのです。それが地球規模で起きる訳ですから、大気は安定を失います。そして気象が穏やであることを前提に成立している人間の暮らしを方々で破壊するのです。

 そう言えば、まだ元気だった頃の母が、畑の隅に積んだ古畳を黒いシートで覆って腐らせ、肥料にしようと計画したことがありました。

「見てみい哲雄、もう何年も経って、畳は土に還ったけんど、糸だけは腐らずにそのまんま残っとる。気味が悪いなあ」

 昭和初期に生まれた人は、自然と親和性のない素材が日常を侵食し始めたことに素朴な違和感を感じたのです。その延長線上で、マイクロプラスチックが海洋生物の生態系を破壊しています。そして間違いなく私たち人間も、自然の生態系チームの一員なのです。


 暮らしをもっと便利に、もっと快適にするための文明が、エネルギーを過剰に消費し、自然の循環から逸脱した物質を生産し続けています。資本主義は、もっと便利に、もっと快適にという人間の欲望を、設備を整え、資源と労働を投入して商品化するシステムです。米を作る代わりにサービスも含めた商品を生産して暮らす仕組みである以上、消費を促し、修理より買い替えを奨励し、今日より明日、明日より明後日と、便利と快適を商品にして社会に提供し続けないと生きていけません。同業者との自由競争に敗れた者は借金を背負って排除される環境が、その傾向に拍車をかけています。まだ十分使用に耐える商品のデザインを変え、新しい機能を加えて、消費者の購買欲求を刺激した企業が生き残るのです。そのシステムが自然のキャパシティを超えました。さらなる省エネを実現する商品を開発すれば儲かるぞ、とか、土に還る天然素材の商品開発こそビジネスチャンスだという従来の発想を転換する必要に迫られています。自然と親和性が高く、拡大再生産を前提としない新しい経済循環システムへ早急に移行しないと、地球が持たないのではないかという危機感を、世界中の人が共有し始めたのです。

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