困難な決断

平成26年08月13日(水)

 近づいて来る台風を心配して、二日後に予定されていた講演会が中止になりました。

 テレビをつければ、どのチャンネルも、警戒を呼びかける気象情報と、台風が上陸した地域からの中継を延々と放送しています。しかし、この地方へ接近するのは二日後の予定であるため、町行く人々は傘も差さないで歩いています。

「先生には、せっかく予定を空けてご準備頂いているところ、誠に申し訳ありませんが、万一の水害の恐れも否定できませんので、大事をとって、今回の講演会は中止ということにさせて頂きたいと思います」

 担当者は丁重でした。

「青空が覗いているこの段階で、よく決断をなさいましたね。勇気が必要だったと思います。被害がないことを祈っています」

 返事をしながら、私は難しい決断だったに違いないと思いました。

 最近の台風報道は大袈裟な印象が否めません。というより、雨の降りようが局地的、集中的で、土石流が発生して、家が倒壊する地域がある一方で、ほんの少し離れた場所では平穏な日常が展開しているということは珍しいことではありません。大事を取って催しを中止したものの、何の被害も起きなかった場合には、主催者は一定の批難を覚悟しなければなりません。何事もないに越したことはないのですが、何事もなければ中止判断の是非が問われるという悩ましいジレンマを乗り越えて、主催者は決断をしたのです。

 そういう意味では、予防という行為には常にある種の虚しさがつきまといます。

 夜の街をパトロールする警察官は、事件が起きなければ特段の評価を受けません。脚光を浴びるとすれば、たまたま遭遇した強盗を、格闘の末逮捕したような場合ですが、パトロールをすれば強盗事件は発生せず、事件が発生しなければ警察官の予防活動に世間の耳目が集まることはないのです。

 消防士も同様です。ボヤを消し止めて、火遊びをした子供を厳しく指導したところで、大火を免れたはずの地域の住民から感謝されたりはしませんが、燃え盛る家屋から子供を救出すれば表彰されるのです。


 さて、事件を未然に防ぐことの難しさについて考えていますが、ここから先はあなたが路線バスの運転手であると仮定して下さい。

 運転中に一人の女性がやって来て、

「あの…バスを止めて乗客を避難させた方がいいと思います」

 と小声で訴えました。

「恐れ入りますが、運転中は話しかけないで下さい」

 マニュアル通りの返答をするあなたに、

「はっきりは聞き取れませんが、隣りの男の人が、死ね…とか、皆殺し…とか、気味の悪いことをつぶやいているのです」

 女性は怯えています。

 ルームミラーを見ると、二人掛けの座席の窓際に座った中年の男性の唇がかすかに動いているような気がします。

 さあ、バスの安全運行に責任を持つあなたは、乗客の危険防止のために、どんな決断をしますか?一人の男性か独り言を言っているという事実だけで、バスを止めて警察に通報しますか?通報して異常者扱いをした男性に、異常性が認められなかったときは、あなたには男性に対する名誉毀損と、バスの運行を遅らせた責任が問われ兼ねません。そんなリスクを恐れて、そのままバスを運行した結果、突然、男性が車内にガソリンをまいて火をつけたとしたら、救出された女性は、あなたに危険を知らせたのに聞き入れられなかったと証言することでしょう。この場合、あなたが浴びる社会的非難は、名誉毀損の比ではありません。

 どうですか?