困難な決断

平成26年08月13日(水)

 起きるかどうか分からない事件を、起きないうちに防ぐことの困難が見えて来ましたね。

 自然災害を心配して講演会を中止にしたり、列車や飛行機を運休にする場合と違って、難しいのは、事件の発生を防ぐために特定の人の人権に制限を加えなくてはならないような場合です。


 佐世保で不幸な事件が起きました。猫を殺して解剖することに歪んだ喜びを感じていた少女が、人間を解剖してみたくなって、友人を殺した上、首と手首を切断し、腹部を切り開いて逮捕されたのです。少女はそれまでに寝ていた父親の頭部を金属バットでなぐり、頭蓋骨陥没の怪我を負わせていました。精神科にも通院し、両親とは離れて暮らした方がいいという助言に従って、近くのマンションで一人暮らしをしていました。少女のただならぬ様子を感じた父親は、精神科医と入院について話し合いましたが、入院は実現しませんでした。医師が入院を拒否したのか、父親が拒んだのか、その辺りの事情はまだ分かりません。一方で精神科医は、少女が事件を起こす危険性について児童相談所に通報しています。守秘義務違反を問われることを恐れてか、医師は通報に際して少女の名前を伏せました。児童相談所は、名前を特定しない通報であることを理由に取り合わず、悲惨な事件は起きたのでした。

 未然に防ぐことはできなかったのかという声が沸き上がりましたが、バスの例と同じです。殺人願望を口にしたとしても、それだけで逮捕拘束ができないように、入院の意思のない人間を強制的に入院させる方法はありません。唯一、措置入院といって、放置すれば自分や他人を傷つける、いわゆる自傷他害の恐れのある場合だけ、強制入院の権限が、知事に与えられています。本人の意に反して病室に閉じ込めるのは、明らかに人権の制限ですから、手続きは厳格に法律で決められていますが、猫を解剖して、殺人願望を口にしただけで、措置入院の要件を満たしていると判断されるとは思えません。しかも入院は当然のことながら、治療が目的です。妄想、幻覚、幻聴等を症状とする精神疾患であれば、薬物治療の対象になりますが、人格レベルの逸脱はそもそも治療の対象にはなりません。敢えて入院させたとしても、入院させれば事件は発生せず、入院生活に問題がなければ退院させなければなりません。そして恐らく退院すれば、再び猫の解剖が始まるのです。

 それやこれやの事情を全て考えた末、精神科医は治療ではなく福祉領域で対応すべきと考えて児童相談所に通報したのでしょうが、本人を特定して通報がなされたとしても、児童相談所にいったい何ができたでしょうか。猫を解剖し、殺人願望を口にしたという理由で、本人を強制的に隔離する権限は児童相談所にはありません。恐らく会議が開かれて、それは精神医療の分野ではないかという結論が出されたような気がします。医療は福祉だと言い、福祉は医療だと言っている間に、やはり事件は起きたでしょう。英断を下して、児童福祉施設に入所措置を取ったとして、事件が施設内で起きた場合は、児童相談所だけでなく、施設の管理体制についても厳しく糾弾されることでしょう。父親は無力です。既に金属バットで頭を割られてしまった以上、住居を分け、精神科医を頼る以外にありません。わが子が人を殺す恐れがあり、他に方法がなければ、わが子を殺して自らも死ね、とあなたは父親に言えますか?言った瞬間に、同じことが自分の身に起きた時は、自分もわが子を殺して自殺する覚悟を迫られるのです。

 さあ、事件を未然に防ぐことの困難さが明らかになって来ました。そうなると、個々人がこのような事件事故の当事者にならないように身を守るしかありません。君子危うきに近寄らず…。それが自分の理解を超える人間に対する過度の警戒や敬遠や無関心につながって行くとしたら、今度は差別という古くて新しい問題と直面するのです。