平成26年05月18日(日)

 舟木一夫は、たくさんの夢を歌いました。夢の出てくる部分だけを抜粋してみると、

 当時の若者が夢に胸ふくらませている様子が分かります。


「残り少ない日数を胸に、夢がはばたく遠い空」

「青春の胸の血は、夢ひとすじに燃えるもの」

「肩を並べた詰襟にゃ、夢を抱いてた仲間たち」

「夢を育てた青春の日を、忘れてくれるな、いつまでも」

「学園広場は青春広場、夢と希望がある広場」

「夢を見るから揺れるのか、長い黒髪波打つように」


 三田 明の歌った「美しい十代」は、「夢を飾ろうきれいな夢を」という歌詞でしたし、「星空のあいつは素敵なあいつ、大きな夢を持っていた」と歌ったのは西郷輝彦でした。


 たくさんの夢が歌われている割には、夢の行方を歌った歌がありません。たった一つ見つけた歌が、三波春夫の「チャンチキおけさ」でした。


  国を出るとき持ってきた

         大きな夢を盃に

  そっと浮かべて 漏らすため息

         チャンチキおけさ


 結局、大きな夢は叶わないまま、屋台の安酒を飲みながらため息をついていたのですね。


 夢が努力の対象としての不満だとすると、当時の夢は、都会での暮らしであり、洒落た恋愛であり、結婚であり、会社での栄達であり、マイホームであり、子供を少しでもいい大学に入学させることでした。叶った夢はもう夢ではなくなり、諦めた夢も夢ではなくなりました。そのことが時代規模で変遷して現在に至っています。歌謡曲は夢を歌わなくなりました。経済はグローバル化し、産業の国際競争力を維持するために、生産システムの一部分だけを担う、使い捨ての雇用形態が採用された結果、企業がどんなに収益を上げても、それを底辺で支える不安定労働者は低所得にあえぐという、不合理な格差社会が出現しました。歴史的に格差は社会変革のエネルギーを持つはずですが、人件費の安い国で製造された安価な製品の大量流通によって、働いてさえいれば低所得は決定的な欠乏には直結せず、所得に見合った消費生活に甘んじて不満を抱かなくなりました。細々と毎日を送る生活者を乗せた脆弱な船は、病気や失業によって簡単に難破しますが、国家は、船そのものの強化ではなく、海に投げ出された人々を社会保障という網で救い取って、本来なら社会的な憤りに向かうべき感情を、卑屈な感謝に変えてしまいます。

 ところが、たとえ生活が成立しても、夢…すなわち、努力の対象としての不満がなくては人の精神のエネルギーは方向性を失うことは前述した通りです。そこで、努力の対象を求める若者たちの欲求をビジネスチャンスと捉えて登場した商品がコンピュータ・ゲームでした。既に物に溢れた社会で人生をスタートさせた不安定就労に従事する若者たちは、夢と呼べるほどの物欲も将来計画も持てず、手の平に乗る小さな画面の中で際限無く提供される仮想現実の世界を相手に、冒険したり、敵を倒したりしながら、刹那的な日常を過ごしています。

 対極には世界を股にかけて組織や国家を運営する、高度な夢を抱いたエリート層が存在しますが、所得格差同様、一国の構成員が二極化して、大半の若者のエネルギーが方向性を失うことは、長期的に見れば、国家の質的な劣化をもたらすのではないでしょうか。

 経済的な理由によって、安価な労働力が大量に必要であるという条件が所与のものである以上、出世、栄達、蓄財は、もはや国民的なレベルでの努力目標にはなりませんが、かつて共有していた夢の代替が、手の平の上のゲームでは寂しすぎます。方向性の定まらない国民的エネルギーが国家レベルでの不安に駆られれば、亡霊のようなナショナリズムが復活する可能性を否定できません。超高齢社会を迎えた我が国は、既に成熟社会の段階に入っているように思います。年寄りが、ギラギラといつまでも物欲に駆られていては見苦しいように、国家にも泰然としなければならない時代があるのです。宗教的バックボーンの希薄な我が国は、今、かつての夢に代わって、成熟社会をゆるやかに束ねる固有の価値観を自前で作り上げる困難に直面しています。私たちは、まず、そのことを強く自覚することから始めなければならないのではないでしょうか。