『で』の値段

平成27年01月30日(金)

 非行少年の施設に求人がありました。

「実は私も昔、随分やんちゃをして人に迷惑をかけた時代がありましてね」

 親身になって面倒見てくれた大人のお蔭で今日がありますと胸を張ったその男は、

「勉強の嫌いな者は、手に職をつけるのが一番いいのです」

 と言って名刺を差し出しました。

「ほお…フランス料理ですか…」

「一人前のコックに育てて見せますよ」

 こうして、どうにも手に負えなかった非行少年が一人、レストランの厨房へ住み込みで就職しましたが、一年も経たないうちに姿を消しました。

 お詫びに出向いた私を責めることもなく、

「彼には繊細な調理より、荒々しい鳶職の方が向いていたのかも知れませんね」

 店主は香りの高いコーヒーを入れてくれて、

「それより先生、これをご縁に一度プライベートでいらして下さい。お値打ちに腕を振るいますよ」

 熱心に誘ってくれたことを、翌年の暮れに思い出しました。

 確か、お値打ちに腕を振るいますと言ってくれたよな…。私はふと懐かしくなって、親しくしていた隣家の夫婦を誘い、四人でその店に食事に出かけて行きました。

「よく来て下さいましたね、先生」

 店主は私の顔を覚えていてくれて、

「さあ、何でもお申し付け下さい」

 皮の表紙の立派なメニューを一人一人に慇懃に渡し、テーブルサイドで居住まいを正しています。ところが四人はメニューを眺めたまま注文ができません。『特選和牛ヒレ肉のポアレシャルルマーニュ風フォアグラ添え』などと書かれていても、どんな食べ物か想像ができません。それに一品ずつの値段が恐ろしく高いのです。

「どうする?」

「どうするって、我々は一応食事は済ませて来た訳だし…」

「何か軽いものがいいよな?」

「そうだわね」

「私も軽食でいいわ」