無届け有料老人ホーム考

平成27年04月13日(月)

 グループホームを例に取れば、一ヶ月の利用料金が十五万円程度のところは一般的で、十万円を下回る事業所を探すのは難しいでしょう。しかし、国民年金の老齢基礎年金は、満額でも月額六万円程度です。夫婦共に満額受給していたとしても、夫のグループホームに十万円を支払えば、妻は毎月二万円で生活しなければなりません。貯えのある人は別ですが、そうでなければ、結局、夫の入居を断念して、認知症の夫を高齢の妻が支える、いわゆる老老介護を余儀なくされることでしょう。認知症は一人にはしておけません。妻が出かける時には夫を連れて出て、夫が出かける時には妻が付いて行く窮屈な生活が続きます。やがて疲れとストレスのために妻がうとうとした隙に、ふらっと外へ出た夫が線路に迷い込んで電車に轢かれた事故では、列車を止めて鉄道会社に与えた何百万円という損害が妻に請求されました。目を離したことが裁判で過失と認定されたのです。過酷な時代ですね。傍目にはいつも一緒に行動する微笑ましい夫婦の姿と映っても、体力と気力の限界を超えて行われている老老介護の現場こそ、一家心中や介護殺人のような悲惨な事件の温床であると認識しなくてはなりません。

 特別養護老人ホーム不足の緩和対策として、入所対象が要介護度三以上に制限された今、当然、要介護一と二の、とりわけ認知症高齢者のグループホームへの入居希望が急増することが予想されますが、費用が賄えないために断念せざるを得ない人々は介護難民として家族と地域を悩ませることになるでしょう。これを便宜上、経済的介護難民と呼びましょう。他に性格や精神が不穏なために引き受け手のない要介護者もやはり介護難民になります。かつてのように向精神薬を投与して行動を抑制するといった方法が人権問題として否定された今、言わば処遇困難介護難民として家族関係者を最も悩ます存在になっています。さらに胃や鼻から栄養の管が入っているために、看護師の不足する一般の施設のケア体制では対応できない要介護者も行き場が限られてしまいます。これは医療依存介護難民と呼べるでしょう。要するに、経済的介護難民と処遇困難介護難民と医療依存介護難民の三種類の難民が、身を寄せる場所がなくて困っているのです。

 ニーズのあるところには必ずビジネスが成立するのが市場経済の仕組みです。

 経済的介護難民を対象に格安のケア付き住宅を提供するビジネスが成立しました。費用を安く抑えようとすれば、住空間としての環境の質は行政の示す基準を満たすことができません。そこで前述したように、届け出の不要な形を取って運営しますが、問題が浮上すれば無届け有料老人ホームと呼ばれて批難の的になります。

 処遇困難介護難民ばかりを住まわせるビジネスも成立しました。もとよりマンツーマンのケアは不可能ですし、粗暴な利用者同士、生活空間を共有すればトラブルの連続です。窓をこじ開けてでも外へ出て行って行方が分からなくなる利用者の処遇も困難です。やむを得ず部屋に外から鍵をかけ、あるいは身体を抑制することが常態化しますが、それが明るみに出ると無届けの虐待有料老人ホームと呼ばれて頻繁にニュースに登場します。

 医療依存介護難民ばかりを入居させるビジネスも成立しました。常時のケアを提供すれば有料老人ホームとしての届け出が必要ですから、提供されるサービスは、医師が外部から時間を決めて巡回する訪問診療と、訪問看護師による栄養管理と、ヘルパーによるおむつ交換や清拭に限定されます。車椅子に乗って建物内を移動する機会も与えず、終日チューブにつないで生命を維持することで、医療保険と介護保険を限度額まで請求するビジネスが人権問題として取り沙汰されると、寝たきり老人アパートと呼ばれます。

 繰り返しになりますか、問題の本質は、有料老人ホームの無届け問題ではなく介護難民問題なのです。老後のためにそれなりの貯えをした人との整合性を保ちながら、経済的難民の生活をどのように保障しますか?性格や精神が不穏で、攻撃性の強い処遇困難介護難民に、他人に迷惑をかない配慮をしながら、どのように人間的な生活を保障しますか?経管栄養で命をつなぐ医療依存介護難民の医療と介護を、医療機関以外のどこでどうやって、どれほどの費用を投じて提供しますか?

 不適切な施設運営や虐待まがいの処遇を人権に照らして批判するのは簡単ですが、声高に人権を叫ぶ以上、経済的な理由で非人間的な生活を強いる立場はとれません。しかし応分の費用負担ができない人にも人間的なケアが税金で提供されるのであれば、誰が現在の生活を切り詰めて老後の貯えをするでしょう。常に他人を攻撃して不全感を発散する傾向のある人の自由を尊重すれば、攻撃を受ける者の人権はどう守るのでしょう。攻撃する人を個室管理するよりも、攻撃される人が内側から鍵をかけて部屋に閉じこもる方が人権を尊重したことになるのでしょうか。

 職員の悪意や無知による虐待は論外ですが、介護難民の生活の保障と水準の問題は、届け出の有無などという表層的なレベルではなく、この種の問いに具体的に答えようとする姿勢からしか解決はできません。

 北欧の国のように、一定水準の教育と医療と介護は国民に等しく無料で保障される体制を望むのであれば、社会保障の在りように根本的な変更を加えなくてはなりません。そして国民は当然、それを実現させる税負担を覚悟しなくてはならないのです。この辺りの議論を飛ばして、有料老人ホームが無届けであったことや、そこで不適切な介護が行われていた事実ばかりを糾弾していたのでは、問題の本質は見えません。経営者が謝罪する姿を見て溜飲を下げている場合ではないように思います。