清州城

平成27年07月16日(木)

 医師がオーナーをしているグループホームから移って、抗認知症薬を中止してからというもの、母の体調はめきめきと回復し、駐車場から城へ続く長い道のりを、元気な足取りで上って行きました。平成元年に復元したという清洲城は、東海道線の車窓から眺めることは何度もありましたが、実際に訪れるのは母も私たち夫婦も初めてでした。あんなぴかぴかの天守閣なんて…とは思うものの、近くに手頃な市民の憩いの場がないせいか、城は思いのほか賑わっていて、五条川にかかる赤い橋を、家族連れや若いカップルが天守を目指してのんびりと歩いていました。

 欄干に等間隔にそびえ立つ、提灯をデザインした外灯の一つ一つに、鳩が一羽ずつ陣取って、橋を行き交う人を見下ろしていました。それを目ざとく見つけた母が、

「ほれ!」

 勢いよく餌をまく仕草をすると、食べ物にありつけると期待した鳩が、われ先に母の足元に舞い下りました。鳥の苦手な妻は、先に行って待っていると言い残して城門に消えましたが、小動物の大好きな母はいつになく嬉しそうです。認知症の母にとっては、城の展示物より鳩と遊ぶ方が楽しいに違いないと思い当たった私は、

「よし!餌を買いに行くぞ」

 二人で売店に取って返し、母に五百円玉を渡しました。グループホームに入居して以来、長い間現金を持たされていない八十五歳の母は、まるでお小遣いをもらった子供のように五百円硬貨をにぎりしめて売店を物色し、たまご煎餅を一袋買うと、私にお釣りとレシートを嬉しそうに差し出しました。昔はそのようにして、幼い私が母にお釣りを渡していたのです。半世紀を超える歳月が、親子の立場を逆転させていました。危うく目頭に熱いものがこみ上げそうになる私の感傷などは意に介さず、勇んで赤い橋に戻った母は、煎餅を小さく砕いて足元にまきました。鳩だけでなく、雀までが群がって盛んに煎餅をついばみ始めました。たとえ相手が鳩や雀のたぐいでも、人間は世話をされる側よりも、する側に回ったときの方が生き生きするものなのですね。

「ほれ、ああ…また取られた。あの痩せっぽちの鳩に食べさせたいのに、でっかい鳩がサッとさらって行く」

「今度はどうや?ああ…また取られた。痩せっぽちは、でっかい鳩を怖がっとるんやなあ。近くに餌を放っても、ちょっと遠慮したすきにでっかいのに取られてしまう」

「図々しいやつは、たくさん食べて、ますます大きくなり、遠慮しとる鳩はいつまでたっても小さいまんま。結局、鳩の世界も人間の世界も変わらんなあ」

 母はいつになく饒舌でした。

 やがて立ち上がる母につられて舞い上がったでっかい鳩が、母の指先にとまり、羽根を操って巧みにバランスを取りながら、手の平の煎餅をついばみました。

「痛い、痛い、こいつ、本当に図々しいわ」

 とは言うものの、別の生き物からここまで警戒心を解かれたことが嬉しいのでしょう。久しぶりに晴れ晴れと笑う前歯のない母の顔を、私は慌てて携帯電話のカメラに収めました。どんなに楽しい時を過ごしても、アルツハイマーの脳には記憶されません。写真に残しておかないと、一緒に過ごした時間も川のように流れて行ってしまうのです。


 城の門をくぐる私たちの姿を見つけて、妻が池のほとりの東屋で小さく手を振りました。

「楽しかった?鳩が平気だったら私も一緒に楽しめたのに、ごめんね。でも、ここで待っていたおかげで面白い光景が見られたのよ」

 と言うのはね…と、妻はたった今、自分が体験した出来事を話してくれました。

 妻は東屋のベンチに腰を下ろして、池に浮かぶ赤い睡蓮の花を眺めていました。よく見ると、鏡のような池の面をかすかに揺らして、たくさんのアメンボウが泳いでいます。そのわずかな水の動きが、却って静けさを際立たせていました…と、三人の子供を連れた母親がやって来て、東屋はたちまち喧騒に包まれました。

「あ、お花が咲いてる!」

 三歳くらいの女の子が池を指差し、

「鯉もいる」

 すぐ上の男の子が駆け寄って、池の底を覗き込みました。

「落ちないでよ、二人とも。ほら、こっちに来てジュースを飲みなさい」