清州城

平成27年07月16日(木)

 子供たちを飲み物で誘惑して危険な場所から遠ざけようとする母親の傍らで、一番上の男の子は自慢げに缶ジュースを飲んでいます。そこへ四十歳前後の父親がトイレを済ませて戻って来ました。

「ぼく、お父さんとお城が見たい」

 一番上の男の子がせがみました。

「お父さんは疲れてるから、ここで横になってるよ」

「いやだ、ぼく、お父さんとお城が見たい」

 弟と妹はジュースを飲みながら二人のやり取りを聞いています。どこの家庭でも長男は果敢に親に欲求をぶつけて玉砕し、弟と妹は成り行きを眺めながら、それぞれの性格を形成して行くのですね。

「疲れてるから、お城にはお母さんと行きなさい」

 父親は東屋のベンチにごろりと横になりました。

「お父さんと行く、お父さんと行く」

 父親の体を揺さぶってせがむ長男を諭すように母親が言いました。

「お父さんは疲れてるんだから、休ませてあげようよ…ね?」

 すると長男は、しばらくぐずぐずしていましたが、一大決心を宣言するように、

「わかった、ぼくお母さんと行く!」

 こうして父親を東屋に残して城を見学した母子四人は、つい今しがた戻って来て、父親と一緒に帰って行ったのでした。

 妻が見た面白い光景というのは、たったこれだけのたわいもない出来事だったのですが、

「変ってるよね?」

 と妻が憤慨するのです。

「だってそうでしょう?日曜日にわざわざ家庭サービスしてるんだから、いくら疲れてるからって、ここまで来てベンチで寝ることはないじゃない。だったら初めから来なきゃいいのよ。母親も母親よ。あんなに父親と行きたがってるんだから、一緒に行ってあげなさいよって言うのが普通でしょ?」

「ま、普通はそうだよな」

 と答えながら、まてよ…私には、はたと気付くところがありました。

 もしも父親が無理をして子供たちと城に付き合っていたらどうでしょう。小学校に上がるか上がらないかの年齢の長男にとって、城の展示物から学ぶものは多くない代わりに、望めば叶うという体験の蓄積は彼の生きる姿勢に影響を与えます。要求は肥大化し、望みが叶わなかったときの落胆や怒りも大きなものになることでしょう。両親揃って長男の要求を拒否することによって、彼は、人にはそれぞれ事情があるということや、従って、世の中には自分の思い通りにはならないことがあるということを体得したのではないでしょうか。そして、成長した彼が所属するのは、間違いなく、思うようにならない人たちばかりで構成される社会なのです。

 母は両親が年を取ってからできた一人っ子で、たいていの望みが叶う幼少期を過ごしました。私も一人っ子です。小学三年生の頃、わが家にデレビがあるとクラスで嘘をついたところ、私が寝ている間に当時は高価だったテレビを購入し、嘘を真実にしてしまうような育てられ方をして大人になりました。その結果、二人とも、親から愛されているという絶大な自信を背景にした向日性を身に着ける一方で、思うようにならない他人の存在に人一倍苦しんだように思います。私の中には、母が望んでいると察するや、たまご煎餅を買いに走り、鳩の餌やりにうち興じる過剰な感情がありますが、それは姿を変えて、行動を共にしない妻に対する落胆や失望に変化する危うさを秘めています。私の嘘を真実にするために高価なテレビを購入するのではなく、

「お父さんは疲れてるから、ここで横になってるよ」

 と平気で言える家族関係の中で育てられていれば、他人との心理的距離の取り方は、もう少し風通しのよいものになっていたのではないでしょうか。

 私の胸に去来するそんな思いを知ってか知らずか、並んで橋を渡る妻と母を、鳩が外灯のポールの上から見下ろしていました。