不惑

平成27年08月24日(月)

 私も今年の暮れには年金受給の年齢に達します。人間ドックでは喘息のほかに、必ず、高血圧と不整脈と血糖値と尿酸値と肝臓の数値と前立腺の腫瘍マーカーの異常が指摘されます。

「腫瘍マーカーは、前立腺の肥大でも炎症でも数値が上がりますが、癌であれば早期に発見するに越したことはありませんからね」

 紹介書をファックスしておくので、近いうちに日赤に行くようにと、半ば強制的に予約させられた精密検査では、若い看護師の目の前で出産ポーズを取り、肛門から前立腺に十二か所、勢いよく針を刺して細胞を採取するという、屈辱的な苦痛に耐えました。トイレに行く度に便器を染める鮮血に怯える日々が続くこと一週間…。幸い結果は白でしたが、

「あくまでも十二か所には癌細胞はなかったというだけですから、安心しないで年に一度は定期的に検査されることをお勧めします」

 医師からそう言われても、自覚症状のない状態で、あの苦痛に再び挑む勇気はありません。かつて整髪に手こずったはずの剛毛は、いつの間にか育毛剤が額に流れ落ちるほど淋しくなりました。鏡に映った目の上に、長く突き出した眉毛を何本か発見すると、祖父の眉をまざまざと思い出し、既に年寄りの年齢であることを拒絶するように、慌ててハサミで切り揃えます。飲みこんだ唾が気管に入ってむせかえることがありますし、頬骨の老人班は昨年より少し大きくなったような気がします。聞き取れない他人の会話には関心を持たないようになり、小さな文字の本は初めから手に取らなくなりました。ことほど左様に、高齢期にさしかかる肉体の変化は、思春期同様、決して穏やかなものではないのです。それもこれも味わって生きようとすれば、とても穏やかではいられません。カロリー制限をしてメタボを防ぎ、日に一時間はルームランナーで汗をかいて体力の衰えを防止し、口臭や体臭に気を遣い、真剣に老いに抵抗する私の内面は、不惑どころではないのです。

 ましてや認知症が進んでグループホームで暮らす母からの、

「久しぶりに声が聞きとおなってなぁ」

 という電話に、

「久しぶりって、おふくろ、昨日会って一緒に食事をしたばかりじゃないか」

 と答えながら、母の姿は確実に自分の行く末を示してくれているような気がして、これまた不安の種になるのです。

 四十にして惑わず。

 どうやらこの言葉は額面通り、途方に暮れたり、悩むことがなくなると解してはいけないようです。途方に暮れる事態や、悩ましい出来事をしっかりと受け止め、逃げることなく立ち向かう覚悟を決めるということではないでしょうか。

 残された人生を味わい尽くす覚悟を忘れないために、

「死ぬまでは生きとる。死んだら分からんやろうも…」

 という祖母の言葉を、時折り思い出しているのです。