国民を食べさせるエネルギー

平成29年12月13日(水)

「たいていのことには反対しないで来たつもりだが、今回ばかりは反対だな。正規採用された会社を三つも転職して、ベンチャーもブラックももう懲りたと言って、今の会社に就職したんじゃないか。これまで起業を夢見て失敗した例をたくさん見て来た。自己破産をした連中もいる。挫折してみろ、再就職しても条件は悪く、収入は少なく、やがて夫婦がうまく行かなくなって、家庭が壊れる。生き甲斐は安定した生活を確保した上で見つければいいじゃないか」

 結局、息子は計画を断念して、今は無類の子煩悩ぶりを発揮して思い出したように写メを送って来ますが、よほどの資産家でもない限り、創業者はこの種の反対を押し切って起業するのです。失敗したら破産覚悟で巨額の借金を背負うのです。

 就職活動という言葉があるように、あるいは就職祝いという言葉があるように、誰かに雇われて月々決まった給料を得る生活を安定した暮らしと考える人々が大半の中で、とんでもないリスクを背負ってでも会社を興そうとする人のエネルギーとはいったい何でしょう。事業が軌道に乗っても、そこで満足せず、もっと規模を大きくし、もっと利益を上げようとするエネルギーとは何なのでしょう。使い切れないほどの財産を築き、ため息が出るような豪邸を建て、運転手付きの高級車に乗り、銀行でビップ扱いを受けても、年老いた母親まで会社の役員に据えて、従業員の年収より多い役員報酬を得ようとするエネルギーとは何でしょう。

 多感な青春時代を左翼の学生運動の真っただ中で過ごした私は、この種の富の偏在を容認する政治的な体制に、社会的憤りを感じる傾向が今も続いていましたが、山間の工場の五十周年を記念するステージで、たくましい賃金労働者の集団を前にして、経済社会に対する価値観が鮮やかに変化する瞬間を体験しました。安定を指向する圧倒的多数の人々の生活は、リスクを背負っても果敢に富を追い求める少数の個人の飽くなき欲望の周辺に成立していたのです。その種の欲望が雇用を生み、富を生み、国民を食べさせていたのです。挫折した仲間を踏み越え踏み越えしてでも前に進んで止まないエネルギーは、ときに脱税をし、ときに談合をし、ときに非情なリストラを断行し、ときに同業者を出し抜いて、身内にあからさまな利益誘導を行うエネルギーと不可分です。法を守り、秩序を重んじ、公平、公正を己に課す穏やかな心情は、どちらかと言えば被雇用者のものなのでしょう。燃え盛る起業家のエネルギーに労働力を提供して一定の報酬を得ようとする労働者の生活は、最低賃金を設定する形で国家が水準を定めています。自由な生産活動の保障を前提に、国家にできるのはその程度のことなのです。そこから先の賃金は、あらゆる商品同様、需要と供給のバランスで決定します。労働者は少しでも自分の労働の価値を高めようと、技術を磨き、資格の取得に励む訳ですが、人に雇われて生活を安定させようと指向する人間であるというだけで、国家は法的には最低の賃金の支払いのみを事業主に課して、市場に放り出すしかありません。

 富は平等に配分されるべきだという価値観を振りかざして国家が経済活動を計画しようとすれば、国民を食べさせるエネルギーそのものが枯渇することは既に世界規模で実証済みです。

 国家は企業を含めた国民の所得から徴収した税や保険料を、主に外交と、国防と、国内の秩序維持と、教育と、社会保障に使いますが、企業優遇だとか、カネ持ち優遇だと批判されても、国民を食べさせる起業家のエネルギーだけは枯渇させないように細心の注意を払わなくてはなりません。枯れ木に花は咲きません。どんなに花実を紙袋で覆い、害虫から保護しても、肝心の幹を枯らしたのでは果実の収穫はできないのです。

 知り合いに同族会社の創業者がいて、経営を退いた今も夫婦揃って役員として名を連ね、多額の報酬を得続けています。海外旅行をし、ブランドを購入し、一流料亭で食事をしても、使いきれない財産が貯まって行く暮らしぶりに、従業員の給料に還元すべきだと密かな反感を抱いていましたが、その屈折した感情は、ようやく自分を苦しめなくなりました。体験は知識を超えますね。国民を食べさせるエネルギーの正体が本当に理解できるためには、紅葉の山々に囲まれた小高い丘の上にある自動車シートの製造工場で、漁師のように手応えのある顔をした、たくさんの従業員たちと対面する必要があったのでしょう。

 私は息子の夢の前に立ちはだかって起業を断念させました。断念したという意味において、息子のエネルギーもその程度のものだったということになりますが、同時に私は複数の労働者の就労の可能性を奪った可能性もあるのです。