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暴力教師7
事件は六時限目の国語の授業の直前に始まった。
「ないない、私の財布が無いわ!」
カバンの中をくまなく探した伊藤明代は興奮して立ち上がり、鋭い目で室伏篤久をにらみつけた。
「な何で俺のことにらむんだよ!」
と突っかかっては見たものの、篤久の声はしかし、自分の仕業であるだけに後ろめたさが隠せない。
「体育の授業の前まではちゃんとあったわ、確かめたの。あなた一人だけ体育館に遅れて来たじゃない?変だわよ」
「トイレだよトイレ、何言ってんだ。人のこと疑うんじゃねえよ」
「じゃああなたの持ち物見せてみなさいよ。疑いはちゃんと自分で晴らすべきだわ」
明代は引き下がらない。
「おい、ちょっと待てよ」
塚本浩一が二人の間に割って入り、他の生徒たちが三人を取り巻いた。
「篤久お前、持ち物なんか見せるこたあねえぞ」
「別にいいよ浩ちゃん、俺、盗っちゃいねえんだから、見せたって」
「ばか、疑われてはいそうですかって持ち物検査させるのかよ。検査するんなら全員だ」
「全員?」
「やだ、あたしたちも?」
「俺たちもか?」
「当たり前だろ?その代わり、もしも篤久の持ち物から財布が出てこなかったら、その時は責任とってもらうぜ」
「責任って?」
「お前、学級委員だろう?学級委員なら学校に現金持ち込むのは禁止されてることぐらい知ってるだろうが。そもそも明代が校則を破って財布なんか持ち込まなかったら、こんなことにはならなかったんだ。そうだろ?それで人のこと疑って持ち物まで調べたりすればお前、当然責任ってものがあるだろう、責任ってものが」
「どうすればいいのよ」
「そうだなあ…」
浩一は不敵な微笑みを浮かべてゆっくりと教壇に上がり、
「篤久のほっぺたにキスでもしてもらおうか」
とふざけたが、ちょうどその時鳴り始めたチャイムの音が、浩一の品の悪い冗談を遮断した。国語の授業にやって来た担任の尾崎俊介は、ドアを開けようとして立ち止まった。
教室の様子がいつもとは違っている。
ただならぬ張り詰めた空気が廊下まで伝わって、中へ入るはずみを失った俊介はドアの外で耳を澄ませた。
「判ったわ。確かに悪いのは校則を破っておカネを持ち込んだ私だわ。塚本くんの言うとおりよ。でも私、戸締り当番だったから体育の授業には一番最後に窓を閉めて教室を出たの。その時は間違いなく財布はカバンの中にあったわ。体育館に着くと、もう全員がそろっていて室伏くんだけが遅れて来た・・・で、教室に戻ると財布がなくなっていたの。疑われても仕方がないでしょう?」
「だからそれはトイレだって篤久が言ってるだろう?信用できねえのかよ」
「私、学級委員を辞めます」
「?」
「おカネが出てきてもこなくても、規則を破った責任をとって学級委員を辞めます」
「よし!上等だ。これで決まったぜ。さあみんな、席に戻って持ち物を全部机の上に出してくれ」
浩一が決め付けるように大声を出した時、俊介はドアを開けた。
「事情は判った。あとは先生が引き継ごう。浩一も席に着け」
俊介は国語の授業をあきらめた。
この種のことはその場で解決しておかないと必ずこじれてしまう。それは教員生活二十年の経験に照らしても明らかだった。
「持ち物を調べる前に、一つだけ解いておかなければならない誤解があります」
俊介はそう言うと、クラス全体を見回した。
塚本浩一の刺すような視線に、俊介の教師としての勘が、挑戦めいた意志を感じ始めている。
「誤解というのは、明代の校則違反のことです」
俊介は話を続けた。
「明代のお母さんは今心臓を悪くして入院しています。もう二週間になります。学校の帰りに買い物をして家族の食事を作るのは明代の役割になりました。明代は毎日お父さんから三人分の食費をもらって登校していますが、それは事情を知った上で先生が持ち込みを認めたおカネであって、決して違反ではありません。ですからそのことで責任をとって学級委員を辞める必要はありません。それからもう一つ、先生はとても残念なことがあります。いいですか?明代は今、大切なおカネをなくして困っているのです。クラスメートとしては何よりもまず明代の立場になって心配をするのが当然ではないでしょうか。なのに関心は犯人探しの方にばかり向いてしまいました。そこで提案があります…と言うのは、これから行う持ち物調べは犯人を見つけるためにするのではなく、明代の財布を探すのに協力をするのだと考えてほしいのです。全員に目を閉じてもらいます。少し不自由ですが、目を閉じたままで全ての持ち物を机の上に出してもらいます。たとえ規則違反の持ち物があったとしても、そのことは絶対に問題にはしませんから安心して下さい。それから、先生がいいというまで目を開けてはいけません。いいですね?財布が見つかっても見つからなくても、ここから先は先生に任せてほしいのです」
俊介はそれだけ言うと、
「はい、それじゃ目を閉じて持ち物を全て机の上に出して下さい」
クラスの動揺を抑えるように大きな声で指示をした。
「ようし、やってやろうじゃねえか。なあ、みんな!」
いつもなら反発するはずの浩一が、俊介に負けないくらいの大声を張り上げた。それを合図にクラス全員が目を閉じて、それぞれの持ち物を机の上に出し始めた。実を言うと俊介は、こんなことで目的の財布が出てくるとは思ってはいなかった。それよりもむしろこれはクラス全体が疑心暗鬼に陥らないためのセレモニーなのだと考えていた。
嘘のような静寂が訪れた。
持ち物の出そろった机の間を俊介がゆっくりと歩いてゆく。歩きながら俊介は、現金が見つからなかった後のことに思いを巡らしていた…が、塚本浩一の一言でその必要はなくなった。
「何だ何だ、財布は四方の机の上にあるじゃないか、このやろう。むっつり助平だけでなくて泥棒もするのかよ!」
浩一の言うとおり、伊藤明代の財布は四方正人の机の上の教科書と教科書の間に挟まれている。
「浩一お前、目を開けない約束を忘れたのか!」
俊介の声はもう届かなかった。
パニック状態のクラスの中で、真っ赤に上気した正人は無言でボタンをいじっている。