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暴力教師14
塚本浩一のアパートは、町の中心部を少し北に外れた住宅街にあった。外壁の上部にグリーンのペンキで大きく書かれているはずの『コーポ北山』という文字が暗くてよく見えないために、その四階建てのビルを探すのに俊介は少し苦労した。見上げると、ほとんどの部屋に明かりがついていて、思い思いのカーテン模様の内側で営まれているであろう平和な家庭生活を想像させる。一階の郵便受けで部屋の番号を確かめて、俊介は狭いコンクリートの階段を上がった。右上にA・204と記された緑色の鉄の扉の中央に小さなレンズのついた覗き窓があり、その上に『塚本』というプレートが貼り付けてある。
俊介はチャイムを鳴らした。
「千波、やっと天丼が届いたぞ!お兄ちゃん腹ペコだ」
浩一は覗き窓を確かめもしないで、
「はぁい!ご苦労さま」
明るく返事をしてドアを開けた。
そこに担任の尾崎俊介が立っている。
「よお」
俊介は少し微笑んで片手を上げた。
「先生…」
浩一の声も顔も、ドアを開けた時の明るさを消しきれないでいる。
「どうしたんだ?ご苦労さまだなんて」
「何でもねえよ」
「お前、家では結構明るい声出してるんだ」
「何の用だよ」
「ちょっといいか?」
「だからって何だつってるだろ?」
「お父さんとお母さんは?」
「知らねえよ」
「留守なのか?」
俊介が玄関の履物に目を移した時、
「お兄ちゃん、天丼は?」
妹の千波が部屋の奥から走って来た。
「何だお前、天丼待ってたのか?」
「関係ねえだろ」
「まあそう言うな。ちょっと上げてくれよ。話があるんだ」
「明日学校で話せばいいじゃねかよ」
浩一がドアを閉めようとした時、
「毎度ありぃ!天丼二つ、こちらですね?」
岡持ちを下げた若い店員が階段を上がって来た。浩一は閉めかけたドアを開けざるをえない。
「わあい来た来た、お兄ちゃん、天丼だよ」
とはしゃぐ千波の頭に手をやって、
「よかったね、こんな時間じゃおなかぺこぺこだもんね。さあ食べましょう食べましょう」
俊介はそのまま上がりこんで驚いた。
雑然としている。
というよりも足の踏み場がないと言った方がいい。
毛足の長いカーペットには、菓子や新聞や週刊誌が散らばり、洒落たガラスのテーブルの上には吸殻が山のようになった灰皿を中心に、いつのものとも知れない湯呑み、コップ、ビールの空き缶が転がっている。本革張りのソファーの背もたれは、まるでハンガー代わりのように、脱いだ衣類が何着も無造作に掛けてあり、黒光りするサイドボードの中には、俊介が飲んだこともない洋酒の瓶がほこりを被って並んでいる。超大型のカラーテレビの下のビデオデッキの時刻表示は、だらしなく点滅したままになっていた、六畳ほどの広さの居間全体に、タバコと酒と化粧品と生ゴミの混合臭が漂っている。
浩一と千波はテーブルの上を片付けようともしないで、つけっ話しのテレビの前で天丼を食べ始めた。
「お茶は?」
と俊介が聞くと、
「千波、ジュース持って来い」
浩一が不機嫌な声で命令した。
千波は冷蔵庫から缶ジュースを二本持って来ると、一本を浩一に渡し、丼を抱えて再びテレビに夢中になった。
「実はな、浩一」
俊介は浩一の前にあぐらをかいて切り出した。
「おれだよ」
浩一は俊介を見ないでぼそりと答え、黙々と天丼を口に運んでいる。
「え?」
「伊藤明代の財布のことだろ?おれがやらせたんだよ、室伏に。そのことで来たんだろ?」
「そうか、お前がやらせたのか」
まさか浩一がこれほど素直に告白するとは思ってもいなかったために、俊介はとっさに言葉が見つからない。
「謝らせてえんだろ?みんなの前で」
浩一が見透かしたような目で俊介を見た。
「…」
「先公の考えることぐらい判ってるよ。おれと室伏をクラス全員の前で謝らせて、けりをつけてえんだ」
「形だけ謝ってもらっても仕方がない。それより本当に悪い事をしたと思っているのかいないのか、それと、どうしてあんなことをしたのか、その辺りのことを聞かせてくれよ」
「…」
「ここへ来る間ずっと考えてみたんだが、お前たちは財布を盗るのが目的じゃなかった。財布は四方のカバンから出てきている。これは盗難事件じゃなくて、いじめなんだと先生は思う。しかし浩一、お前が四方をいじめなきゃならん理由があるのか?え?そこんとこが先生どうしても解らないんだぜ」
「理由なんてねえよ」
浩一は天丼を食べ終えて割り箸を半分に折り、それを岡持ちの中へ投げ込んだ。
「理由がなくてお前、人をいじめられるのか?」
「先公と一緒だよ」
「どういう意味だ」
「数学の高橋は、テストで三十点以下の者の名前を読み上げる。体育の佐藤は、おれの赤いTシャツを見つけるとその場で正座させる。英語の山下は、おれたちデキの悪い生徒には絶対に質問しねえ。へ!みんな立派ないじめだろうが」
「それはお前、いじめじゃ」
「ねえってのか?」
浩一は俊介をにらみつけた。
にらまれた俊介は何か言おうとして言葉を飲み込んだ。何を言っても嘘になるような気がする。塚本浩一を追い詰めるつもりの俊介が、完全に追い詰められた格好になっていた。
「しかし」
俊介は言った。
「だからといって四方をいじめてもいいということにはならん」
「明日ははっきりさせるよ」
浩一はもうこれ以上話し合うつもりはないとでも言うように、テレビの方に顔を向けた。
「え?」
「帰ってくれよ、明日のホームルームできちんとするから」
「謝るんだな」
「…」
「判った浩一、お前を信じよう」
俊介は立ち上がって靴を履いた。
テレビからバラエティショーの示し合わせたような笑い声が沸き上がった。