鈴虫になったゴキブリ

作成時期不明

 つらい練習が始まりました。

 一生懸命羽根をこすり合わせるのですが、音が出ません。鈴虫のところへ行って習っても見たのですが、簡単なように見えてどうしても鳴らないのです。いつしかゴキブリの子ども羽根は傷だらけになりました。

「ゴキブリはゴキブリらしく生きるしかないんだよ」

 と注意してくれる仲間がいました。

「体をこわしちゃおしまいだよ」

 お母さんゴキブリも言いました。

 けれどゴキブリの子どもはあきらめませんでした。きっと鳴き方を覚えて人間に好かれ、その鳴き方を仲間に教えて、ゴキブリが安心して暮らせるようにするんだ…。そう決心していたのです。


 リーン、リーン、リーン

 ある夜台所の隅で、これまで聞いたこともないような、よく澄んだ鈴虫の声がするのを人間は聞きました。

 それはそれは透き通った美しい音で、鈴虫の声とも少し違うようです。

 人間は忍び足でそっと冷蔵庫の下を覗きいて驚きました。鳴いているのはゴキブリではありませんか。しかも近づいても逃げようともしません。まるで人間に愛されるのが当然のように誇らしい顔つきで鳴いているのです。

 ゴキブリの子どものねらいは的中しました。人間は美しい声で鳴くゴキブリを決して踏みつぶそうとはせず、そっと両手に乗せると、カゴに入れて食べものをくれました。ゴキブリの子どもは嬉しくてなりません。もう逃げ隠れして暮らす必要はないのです。それどころか、自分で危ない目に遭って食べものを探さなくても、ちゃんと人間が運んで来てくれるのです。一生懸命鳴きました。鳴けば鳴くほどその声は美しくなっていきました。さすがに夜は疲れ果てて横になりましたが、カゴのまわりに仲間たちが集まって来ると、得意そうに鳴いてみせました。


「みんなも覚えるといい。ここは天国だよ」

 工夫した鳴き方をカゴの外の仲間たちに披露すると、ゴキブリの仲間たちはホーッと感心しましたが、夜明けが近づくと仲間たちは一斉に帰って行きました。

 お母さんゴキブリも、

「体に気をつけるんだよ」

 と言い置いて、みんなと一緒に帰って行きました。

 ゴキブリの子どもは、いつも明け方になると一人ぼっちになりました。それは淋しいことでした。夜、みんながカゴのまわりで鬼ごっこや隠れんぼをして遊んでいる時も、ゴキブリの子どもはカゴから出ることはできません。天国だと思っていたカゴの中は、突然、冷たい牢屋のようになりました。もう二度と人間に追いかけられることもない代わりに、もう二度と仲間たちと遊んだり、お母さんにあまえたりはできないのです。これからずっと、こんな狭いカゴの中で一生を送るのかと思うと淋しくて淋しくて、ゴキブリの子どもはいつしか泣き暮らすようになりました。

 そして最近では、あんなに張りのあった鳴き声は元気がなくなり、今では

「リーン、リーン」

 ではなくて、

「デタイヨー、デタイヨー」

 と言っているように聞こえるのです。