4.診察要求(房子Ⅱシリーズ)

 介護シューズを購入した日、房子は、グループホームに戻る道のりで二度転びそうになり、玄関で靴を脱ごうとして、さらに一度床に手をついた。

「上靴は買って来ましたが、母は典型的なパーキンソン歩行で、外出中危うく三度転ぶところでした。何だか人柄も変化しているような気がします」

 やはり上靴が原因とは考え難いので、メマリーという薬を一旦中止して様子を見てもらえないでしょうかと、謙一はホームの職員に鄭重に要望した。薬を巡るやり取りを聞かせまいと気を利かせた陽子は、居室で房子の相手をしている。

 看護師を名乗る中年の女性職員は、

「前にも申し上げた通り、全員に同じ薬を飲んで頂いていますが、副作用の訴えはありません。一時的なものだと思いますので、とりあえず上靴を替えて様子を見ることにしたらいかがでしょう」

 と提案して、

「私たちは主治医の先生の処方通りにお薬を飲んで頂くのが仕事です。勝手に中止することはできないのですよ」

 クレーマーを見るような目で腕を組んだ。

「様子を見るということは、その間も薬を飲み続けるのでしょう?それは心配です。そもそも主治医の先生は母の足のむくみや不安定歩行をどう考えていらっしゃるのですか?」

「いえ、まだ私ども現場の職員が、原因は上靴ではないかと考えている段階ですので…」

「それでしたら、まず診察を受けさせて下さい。先生はこのホームの開設者で、診療所もすぐ近くでしょう?」

「あ、はい」

「そもそも母は服薬の事実も覚えていられない認知症患者ですから、薬を処方するときは私たち家族に説明があるべきだと思いますが」

「おっしゃる通りです。しかし現実問題として入居者様が風邪を引いたり怪我をされる度に、医師がご家族に説明して納得を頂くのは困難だと思います。そこは信頼してお任せいただかないと…」

「いえ、メマリーは脳に作用する薬でしょう?風邪や怪我とは違いますよ。家族がこうして本人の体調の変化を訴えているのですから、中止が無理なら、せめて診察を受けさせて下さい」

「分かりました。明日一番に診察にお連れします」

 診察結果は陽子の携帯に知らせてくれるよう約束して二人は岐路に着いた。

 何も知らない房子は、いつもの習慣で玄関まで出て、車が見えなくなるまで手を振っている。

前へ次へ